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外部逆援助交際刺激(情報)を体の感覚器が捕えそれを脳に伝達する。すると即座に何らかのイメージや感じが湧きあがる。たとえばある波長の光(視覚刺激)を目を通じて受け取ったとき、その刺激を赤い色と感じれば、その赤い色のイメージは意識体験の具体的な内容のことであり、その「赤さ」こそがクオリアの一種である。
簡単に言えば、クオリアとはいわゆる「感じ」のことである。「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日逆援助交際酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、世界に対するあらゆる意識的な体験そのものである。
こうした非常に身近な概念であるにも関わらず、クオリアは科学的にどう取り扱われるべき概念なのかが良く分かっていない。この問題は「クオリア問題」または「意識のハードプロブレム」[1]と呼ばれている。すなわちクオリアとは一体どういうものなのか、そしてそれは私たちのよく知る「物質」と一体どういう関係にあるのか。こうした基本的な点に関してさえ全ての研究者からの合意を取り付けているような意見は未だにない。現在のクオリアに関する議論は、この「クオリア問題」または「意識のハードプロブレム」を何らかの形で解決しよう、または解決できないにしても何らかの合意点ぐらいは見出そう、という方向で行なわれており、「これは擬似問題にすぎないのではないか」という立場から「クオリアの振る舞いを記述する新しい自然法則が存在するのではないか」という立場まで、実に様々な考え方が提出されている。
現在こうした議論は心の哲学(心身問題や自由意志の問題などを扱う哲学の一分科)を中心に展開されており、古来からの哲学的テーマである心身問題を議論する際に中心的な役割を果たす概念として、クオリアの問題が議論されている。
また科学の側では、脳科学、認知科学といった人間の心を扱う学術分野を中心にクオリアという語が頻繁に使用される。
笛から発せられた空気振動(音)が、笛の音のクオリア「ピー」を発生させるまでの流れ(左端:笛、 青:音波、 赤:鼓膜、 黄:蝸牛、 緑:有毛細胞、 紫:周波数スペクトル、 オレンジ:神経細胞の興奮、 黄:笛の音のクオリア)。人が痛みを感じるとき、脳のニューロンネットワークを走る電気信号自体は、「痛みの感触そのもの」ではない。脳が特定の状態になると痛みを感じるという対応関係こそあるものの、両者は別のものである。
クオリアとは、ここで「脳の状態」だけからは説明できない「痛みの感触それ自体」にあたるものである。しかし、クオリア自体を言語で正確に記述することは難しい。
[編集] 類義語を採用しない理由
現象的意識や主観的体験などもクオリアとほぼ同義の言葉であるが、しかしながらこれらの言葉は「同時に体験されている種々雑多なクオリアの集まり全体」のことを指して使われる事が多い。例えば仕事帰りのあなたが体験しているクオリアには次のようなものがある。脇を走り抜ける車が出すブンブンとした音、夕暮れの空の赤さ、近所の家の換気扇から流れてくるおいしそうなシチューの匂い、心地よい疲労感などなど。このとき、同時に体験しているこれらクオリア全体のことを指して現象的意識、主観的体験などと言うのが一般的である。
クオリアとほぼ同じ意味内容を持った言葉は他にも多く存在する。西洋哲学においては表象、現象学における現象などが、また東洋哲学においては仏教における六境という概念などがクオリアと非常に近い意味を持つ。にも拘らずクオリアという新しい呼び名が使われる背景には、次の二つの理由がある。ひとつは、表象や現象という言葉が既に多義語であり、厳密な意味を持たせて使用するのが困難であること。そしてもうひとつは、先述の語とは用いられる文脈が異なることをはっきりさせる目的があることである。つまり表象や現象という言葉が純粋に思弁的な議論で用いられることが多いのに対し、クオリアという言葉は、必ずと言って良いほど、神経細胞や原子、物理法則、脳といった科学逆援助交際用語と一緒に登場し、かつそういった自然科学的な知識を重視したスタンスでの議論が行われる、という事である。この意味の厳密さへの志向と科学的な傾向の強さの二点から、旧来の用語とは異なる「クオリア」という新語が好んで使われる。
[編集] 様々なクオリア
エルンスト・マッハの視覚体験。座椅子に腰かけ、右目を閉じ、左目だけを開けていたときにマッハが経験した視覚体験の報告。上にはマッハの眉毛、右側にはマッハ自身の鼻が、下にはマッハ自身の口ひげが描かれている。
(白黒なのは当時の印刷技術の制約によるものに過ぎない。つまり、マッハが色盲であり、かつ、そのことを表現している、というのは事実に反する)人間の体験するクオリアは実に多彩であり、それぞれが独特の感じをもつ。たとえば視覚、聴覚、嗅覚からはそれぞれ全く違ったクオリアが得られる。
視覚体験 視覚体験には様々なクオリアがともなう。その単純さから最も頻繁に議論の対象にされるのが色であり、これには例えば、リンゴの赤い感じ、空の青々とした感じ、などがある。他にも形、大きさ、明るさ、暗さ、そして奥行きがある。片目で世界を眺めるよりも、両目で世界を眺めた方が、世界はより三次元である。つまり奥行きのクオリアが伴なう。
聴覚体験 聴覚からもたらされるクオリアも非常に豊かである。笛から発せられた空気振動がもたらすピーッというあの感じ、また特定の高さの音を同時に聞いたとき、つまりマイナーコードやメジャーコードといった和音を聞いたときに受けるあの感じ、そしてそれらの音が時間的につらなったときに受けるあの感じ、つまり音楽を聞いたときにうける独特の感覚などである。
触覚体験 触覚からもたらされるクオリアには以下のようなものがある。シルクの布を撫でた時に感じられるツルツルした感触、無精ひげの生えたあごを撫でた時に感じられるザラザラした感触、水を触ったときの感じ、他人の唇に触れたときの柔らかい感じなど。
メントール分子 この形の分子を吸い込むと、ミント(ハッカ)の香りがする。
硫化水素分子 この形の分子を吸い込むと、温泉の香りがする。嗅覚体験 嗅覚から得られるクオリアは、もっとも言葉で表現しにくい感覚のひとつである。朝、台所から流れてくる味噌汁の香り、病院に漂う消毒液の匂い、公衆便所の芳香剤の臭いなど。それぞれがどのような香りなのか説明してみろ、と言われても説明に困るのではないだろうか。分子レベルのメカニズムとしては、臭いは鼻腔の奥の嗅細胞において検知される。ここで鍵と鍵穴の仕組みで、レセプターに特定の分子が結合した際に、特定の香りが体験される。しかしながら、ある特定の形状の分子が、なぜある特定の香りをともなっているのか、この組み合わせはかなり恣意的に思える。この組み合わせがどのように成立しているかは、依然として何も分かっていない。
味覚体験 味覚は甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の五つの基本味から構成されていると考えられており、これらの組み合わせによって数々の食料・飲料品の味が構成されている。分子レベルのメカニズムは、嗅覚と同様に、舌にある味覚受容体細胞において、鍵と鍵穴の仕組みでレセプターに特定の分子が結合すると、特定の味が体験されることになる。しかしながら、嗅覚の場合と同様、ある特定の形状の分子が、なぜある特定の味をともなっているのか。この組み合わせが成立している背景については、依逆援助交際然何も分かっていない。
冷熱体験
痛覚
他の身体感覚
心的表象
意識的思考
感情
自分という感覚
このようにクオリアが持っている基本的に異なったいくつかの種類のことを感覚のモダリティーと呼ぶ。しかし時には違ったモダリティーが混ざり合うこともあり、そのような現象は共感覚と呼ばれている。
[編集] クオリアに関する思考実験
逆転クオリア (Inverted qualia) 同じ波長の光を受け取っている異なる人間は同じ「赤さ」を経験しているのかクオリアの問題を扱った思考実験に以下のようなものがある。
逆転クオリア
同等の物理現象に対して、異質のクオリアがともなっている可能性を考える思考実験。色についての議論が最も分かりやすいため、色彩について論じられることが最も多い。同じ波長の光を受け取っている異なる人間が、異なる「赤さ」または「青さ」を経験するパターンがよく議論される。逆転スペクトルとも呼ばれる。
哲学的ゾンビ
全ての面で普通の人間と何ら変わりないが、クオリアだけは持たない、という仮想の存在。心の哲学において、クオリアという概念を詳細に論じるためによく使われる。
マリーの部屋
生まれたときから白黒の部屋に閉じ込められている仮想の少女マリーについてのお話。マリーは白、黒、灰色だけで構成された部屋の中で、白黒の本だけを読みながら色彩についてのありとあらゆる学問を修める。その後、この部屋から開放されたマリーは色鮮やかな外の世界に出会い、初めて色、というものを実際に体験するが、この体験(色のクオリアの体験)は、マリーのまだ知らなかった知識のはずである。この事からクオリアが物理化学的な現象には還元しきれない事を主張する。
コウモリであるとはどのようなことか
コウモリはどのように世界を感じているのか。コウモリは口から超音波を発し、その反響音を元に周囲の状態を把握している(反響定位)。コウモリは、この反響音をいったい「見える」ようにして感じるのか、それとも「聞こえる」ようにして感じるのか、または全く違った風に感じるのか(ひょっとすると何ひとつ感じていないかも知れない)。こうしてコウモリの感じ方、といった事を問うこと自体は出来るが、しかし結局のところ我々はその答えを知る術は持ってはいない。このコウモリの議論は、クオリアが非常に主観的な現象であることを論じる際によく登場する[2][3]。
[編集] 自然科学との関係
たとえばリンゴの色について考えた場合、自然科学の世界では「リンゴの色はリンゴ表面の分子パターンによって決定される」とだけ説明される。つまり、リンゴ表面の分子パターンが、リンゴに入射する光の内特定の波逆援助交際長だけをよく反射し、それが眼球内の網膜によって受け取られると、それが赤さの刺激となるのだ、と。 そしてこの一連の現象の内、次のような点に関しては神経科学・物理学・哲学といった専攻や立場の違いに関わりなく、ほぼ全ての研究者の間で意見が一致する。
どのような分子がどのような波長の光をどれぐらい反射するのか(⇒光化学)
反射した光は、眼球に入った後、どのようにして網膜の神経細胞を興奮させるのか(⇒網膜)
その興奮は、どのような経路を経て脳の後部に位置する後頭葉(視覚野)まで伝達されるのか(⇒視神経)
後頭葉における興奮は、その後どのような経路を経て、脳内の他の部位に伝達していくのか(⇒神経解剖学)
だが一般に、こうした物理、化学的な知見を積み重ねても最後のステップ、すなわち「この波長の光がなぜあの「赤さ」という特定の感触を与え、この範囲の光はどうしてあの「青さ」という特定の感触を与えるのだろうか」といった問題は解決されないまま残されてしまうことになる。この現在の自然科学からは抜け落ちている残されたポイント、すなわち「物理的状態がなぜ、どのようにしてクオリアを生み出すのか」という問題について、1994年にオーストラリアの哲学者ディビッド・チャーマーズは、「それは本当に難しい問題である」として「ハード・プロブレム」という名前を与えた。
[編集] クオリアの自然化
向精神薬や脳表電気刺激の実験などからも分かるように、「脳の物理的な状態」と「体験されるクオリア」の間には緊密な関係がある。しかしながらそれが具体的にどのような関係にあるのかは未だ明らかではない。この「脳の物理的な状態」と「体験されるクオリア」がどのような関係にあるのか、という問題に対しては、抽象的なレベルにとどまってはいるが様々な仮説が提唱されている。こうした「クオリアを整然とした自然科学(とりわけ物理学)の体系の中に位置づけていこう」という試みは、クオリアの自然化 (Naturalization of Qualia) と呼ばれ、心の哲学における重要な議題のひとつとなっている[4]
[編集] クオリアに関する様々な立場
クオリアに関する議論は様々な論点が知られているが、中でも最も大きな論争となるのは、その存在論的な位置づけに関する議論である。つまりクオリアは現在の物理学の中でどこに位置づけられるのか、という問題である。この問題に対する考え方の詳細は論者によって様々であり、一概に分類することはできないが、おおよそ以下の三種類に分けることができる。物理主義的立場、二元論的立場、そして判断保留型、の三つである。
[編集] 物理主義的立場
クオリアは何か非常に真新しく、現在の物理学の中には含まれていないものように見えるが、そんなことはない、すでに含まれているのだ、という立場。こうした立場は一般に物理主義的と呼ばれる。この立場を取る世界的に有名な論者としてダニエル・デネット[5]、チャーチランド夫妻(パトリシア・チャーチランド、ポール・チャーチランド)が、また日本語圏で有名な論者として信原幸弘[6]、金杉武司[7]がいる。この立場ではフロギストン、カロリック、生気といった科学史上の誤りを例にとって、クオリアもそうした例のひとつに過ぎないと考える。
[編集] 二元論的立場
クオリアは現在の物理学の範囲内には含まれていない、と考える立場。つまり既知の物理量の組み合わせでクオリアを表現することはできない、という立場。こうした立場は一般に二元論的と呼ばれる(ただし二元論と呼ばれてはいるが、霊魂や魂の存在を仮定するデカルト的な実体二元論を主張しているわけではない点注意されたい)。この立場は大きく次の二つに分かれる。ひとつは「物理学の拡張によって問題は解決される」という立場。そしてもう一つは「そもそも私達人間にはこの問題は解けない」という立場である。
物理学拡張派
クオリアは現在の物理学に含まれていないから、クオリアを含んだより拡張された物理学を作ろう、という立場。世界的に有名な論者としてデイビッド・チャーマーズ[8]、ロジャー・ペンローズ[9]が、また日本語圏で有名な論者として茂木健一郎[10]がいる。この立場には二つの違った流れがある。
1.情報に注目する立場
クオリアと物理現象の間をつなぐ項として、情報に注目している一連の研究の流れがある。大元はデイビッド・チャーマーズが提唱した情報の二面説(Dual-aspect Theory of Information)で、そこにジュリオ・トノーニの情報統合理論などが続く[11]。
客観収縮理論によると、波動関数が収縮する際に、意識体験(クオリア)が生まれる、とされる。2.量子力学に注目する立場
クオリアと量子力学における観測問題との間に何らかの関係があるのではないか、と考える一連の研究の流れがある。中でも最も有名なものに、ロジャー・ペンローズとスチュワート・ハメロフの提唱する波動関数の客観収縮理論(Orch-OR Theory)がある[12][13]。この理論によれば、脳内でチューブリンというタンパク質の波動関数が収縮する際に、意識体験(クオリア)が生まれる、とされる。そしてこの収縮が連続して継起することで意識の流れが生み出される、と。ただこれは理論物理学者が提示している説とはいえ、その内容はまだいたって概念的なものであり、理論の詳細が数式や方程式の形で具体的に示されているわけではない。
ニューミステリアン
クオリアは現在の物理学に含まれておらず、ハードプロブレムは依然として残っているが、私達人間にはこの問題は解くことは出来ないだろう、と考える立場。代表的な論者にトマス・ネーゲル、コリン・マッギン[14]、スティーブン・ピンカーなどがいる。人間という種が、その先天的な脳構造に由来して認知能力に関してある一定の限界を持っており、その外側にある物事が人間には理解できない、という認知的閉鎖(英:Cognitive closure)の概念などをその基軸に置く。
[編集] 判断保留型
NCC 探索の基盤となる枠組み。散歩しているイヌ(一番左)を見ている人(左から二つ目)の脳内で起きている様々な神経細胞の発火(左から三つ目)の集まりの うち、その一部がNCCとして(図中の丸で囲まれている部分)、心に浮かぶイヌの像(一番右)つまり主観的な意識体験を生み出す役割を担っている、とす る。クリストフ・コッホに代表される一部の神経科学者たちは、こうした考え方のもと、NCCを発見・同定することを目指して研究を行なっている。ハード・プロブレムについて机上でいくら議論を積み重ねても謎は解けそうにもない、と考える立場。だから哲学者がやってるような形逆援助交際而上学的な議論は一時脇に置いといて(判断保留にして)、まずは実証的なデータを積み重ねていこう、と主張する。この立場の代表的人物としてフランシス・クリック[15]、クリストフ・コッホ[16]がいる。こうした考えを背景に持つ研究で有名なものとして以下のようなものがある。
NCCの探索
意識と相関するニューロン(NCC:Neural correlates of consciousness 特定の意識体験を起こすのに必要な最小のニューロンのメカニズムとプロセス)を同定していく研究[17]。フランシス・クリックとクリストフ・コッホが先頭を切る。
[編集] 歴史
クオリアという言葉は、「質」を意味するラテン語に由来する。この言葉自体の歴史は古く、4世紀に執筆されたアウグスティヌスの著作「神の国」にも登場する。しかし現代的な意味でこのクオリアという言葉が使われ出すのは、20世紀に入ってからのことである。まず1929年、アメリカ合衆国の哲学者クラレンス・アーヴィング・ルイスが著作『精神と世界の秩序』[18]において現在の意味とほぼ同じ形でクオリアという言葉を使用する。
私達に与えられる異なる経験の中には、区別できる質的な特徴があり、それらは繰り返しあらわれているものだと考えられる。そしてこれらには何らかの普遍的なものだと考えられる。私はこれを「クオリア」と呼ぶことにする。クオリアは普遍的だが、逆援助交際様々な経験から得られるものを比較していくならば、これらは対象の特性とは区別されなければならない。この二つの混同は、非常に多くの歴史上の概念に見られ、また現代の基礎的な理論においても見られる。クオリアはダイレクトに直感され、そして与えられるものであり、純粋に主観的なものであるため、何らかの勘違いといった類の話ではない。
– ルイス『精神と世界の秩序』(1929)
その後、1950年代から1960年代にかけて、ルイスの教え子であるアメリカの哲学者ネルソン・グッドマンらによってこの言葉が広められる[19]。1974年には、クオリアの問題にとって大きい転機となる論文が現れる。アメリカの哲学者トマス・ネーゲルが提示した「コウモリであるとはどのようなことか」という思考実験において[2][3]、物理主義はクオリアの具体的な表れについて、完全に論じ切れていない、という主張が強くアピールされる。1982年にはオーストラリアの哲学者フランク・ジャクソンが、メアリーの部屋という思考実験を提唱し、普通の科学的知識の中にはクオリアの問題は還元しきれないのではないか、という疑念が提唱される[20]。こうしたネーゲル、ジャクソンの論文が登場しはじめた1970年代後半あたりから、徐々に科学や物理学との関連の中でクオリアの議論が展開されることが多くなる。最終的にこの流れを決定付けるのは、オーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズである。1995年から1997年にかけてチャーマーズは一連の著作[1]を通じて、現在の物理学とクオリアとの関係について、非常に詳細な議論を展開する。この議論が大きな反響を呼び、今まで一部の哲学者の間だけで議論されていたクオリアの概念が広い範囲の人々(脳科学者のみならず工学者や理論物理学者などまで)に知れ渡るきっかけのひとつとなる。以後、現在に至る。
[編集] 発展
クオリアを言語や物理的特性として記述しきることができないことは、哲学でしばしば議論される幾つかの疑問と結びついている。
クオリアの科学はどのようにすれば可能なのか。科学的方法論に基づいてクオリアを扱っていこうとした時に出会う最大の困難は、実験によってクオリアを測定することが出来ない、という点である。このことを『我々は意識メーターを持たない』などと比喩的に表現する事もある。どうすればクオリアや意識を科学の表舞台に引き上げることができるのか。科学哲学の知見を絡めて議論される。
また、人工知能など、一般に意識を持つと考えられていないものが、センサーを通じて光の波長を処理できるとしたら、そのときその人工知能には意識があり、人工知能は赤さを感じているのか[21](⇒人工意識)。
自分以外の人間に意識があり、クオリアを経験しているのか(⇒他我問題、独我論)。
[編集] 脚注
^ a b デイヴィッド・チャーマーズがハード・プロブレムについて論じた二本の論文。"Facing Up to ..."に対して寄せられた様々な批判に答える形で出されたのが"Moving Forward on ..."
Chalmers, David J. (1995) "Facing Up to the Problem of Consciousness". Journal of Consciousness Studies 2(3):pp. 200-219. pdf
Chalmers, David J. (1997). "Moving Forward on the Problem of Consciousness". Journal of Consciousness Studies, 4, pp. 3-46. pdf
^ a b トマス・ネーゲル. (1974). "What Is it Like to Be a Bat?", Philosophical Review, pp. 435-50. オンライン・テキスト
^ a b トマス・ネーゲル(著), 永井均(訳) 『コウモリであるとはどのようなことか』 勁草書房 1989年 ISBN 4-32-615222-2
^ フレッド・ドレツキ著、鈴木貴之訳 『ジャン・ニコ講義セレクション 2 心を自然化する』 勁草書房 2007年 ISBN 978-4-326-19958-7
^ ダニエル・デネット 『逆援助交際解明される意識』 青土社 1998年 ISBN 4-7917-5596-0
^ 逆援助交際信原幸弘著 『意識の哲学―クオリア序説』 岩波書店、2002年 ISBN 4000265881
^ 金杉武司著 『心の哲学入門』 勁草書房 2007年 ISBN 978-4-326-15392-3
^ デイヴィッド・チャーマーズ著, 林一訳 『意識する心』 白揚社 2001年 ISBN 4-8269-0106-2
^ ロジャー・ペンローズ著 林一訳『心の影 意識をめぐる未知の科学を探る』みすず書房 一巻 ISBN 4-622-04126-X 2001年、 二巻 ISBN 4-622-04127-8 2002年4月
^ 茂木健一郎著 『脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか』 日経サイエンス社 1997年 ISBN 4532520576
^ ジュリオ・トノーニ "An information integration theory of consciousness", BMC Neuroscience 2004, 5:42. doi:10.1186/1471-2202-5-42
^ スチュワート・ハメロフ, ロジャー・ペンローズ. "Conscious Events as Orchestrated Space-Time Selections" Journal of Consciousness Studies, Volume 3, Number 1, 1996 , pp. 36-53(18)
^ 上の論文の邦訳 スチュワート・ハメロフ、ロジャー・ペンローズ著、茂木健一郎訳「意識はマイクロチューブルにおける波動関数の収縮として起こる」『ペンローズの<量子脳>理論―心と意識の科学的基礎をもとめて』pp.139-194収録、<ちくま学芸文庫> 筑摩書房 2006年、 ISBN 978-4480090065
^ コリン・マッギン著、石川幹人、五十嵐靖博訳 『意識の<神秘>は解明できるか』 青土社 2001年 ISBN 4-7917-5902-8
^ フランシス・クリック, クリストフ・コッホ, "A framework for consciousness", Nature Neuroscience, (2003) Volume 6, Number 2, pp.119-126.
^ クリストフ・コッホ著、土谷尚嗣、金井良太訳 『意識の探求―神経科学からのアプローチ』 岩波書店 2006年 上巻:ISBN 4000050532 下巻:ISBN 4000050540
^ Florian Mormann, クリストフ・コッホ "Neural correlates of consciousness". Scholarpedia, 2(12):1740
^ Lewis, C.I. (1929) "Mind and the world order". New York: C. Scribner's Sons.
復刻版 Lewis, C.I. "Mind and the World-Order: Outline of a Theory of Knowledge" Dover Pubns 1991年 ISBN 0486265641
^ ネルソン・グッドマン The Structure of Appearance. Harvard UP, 1951. 2nd ed. Indianapolis: Bobbs-Merrill, 1966. 3rd ed. Boston: Reidel, 1977.
^ フランク・ジャクソン (1982年) "Epiphenomenal Qualia", Philosophical Quarterly, vol. 32, pp. 127-36. オンライン・テキスト
^ 柴田正良 『ロボットの心』 講談社http://gyakuenjokousaida.blog45.fc2.com/〈講談社現代新書〉 2001年 ISBN 4-06-149582-8
[編集] 関連項目
主体と客体
美意識
[編集] 参考文献
デイビッド・チャーマーズ(著)、林一(訳)『意識する心-脳と精神の根本理論を求めて』白揚社 (2001年) ISBN 4-8269-0106-2(翻訳元は "The Conscious Mind: In Search of a Fundamental Theory" (1996). Oxford University Press. hardcover: ISBN 0-19-511789-1, paperback: ISBN 0-19-510553-2 。意識のハードプロブレムについて論じた一冊。この本の要旨は以下の三点。1.脳に関する知見を現在の物理学の枠内で深めていっても、クオリアについての説明は出てこない(この論証に哲学的ゾンビが使われる)。2.ゆえに現在の物理学は拡張されなければならない。3.この拡張は、物理状態とクオリアの間をつなぐ共通項として"情報"を基礎に置いていくようなものになるはずである。 )
[編集] 外部リンク
[編集] 日本語
クオリア3 - 「哲学的な何か、あと科学とか」内の一ページ。現在の物理学の中にクオリアを還元仕切れない、という点について説明している。
Qualia F.A.Q. - 心の哲学の研究者である茂木健一郎が運営するサイト、「クオリア・マニフェスト」内の一ページ。クオリアについてのよくある質問と、それに対する簡潔な返答をまとめている。
クオリア・マニフェスト - 同じく茂木氏のサイト、「クオリア・マニフェスト」内の一ページ。クオリア問題の歴史、意味、そして重要性について語っている。現在の心脳問題の概況を知るのにも使える一ページ。
クオリアとは何か? - 同じく茂木氏のサイト、「クオリア・マニフェスト」内の一ページ。このページではクオリアについて、かなり踏み込んだ解説をしており、茂木氏の研究上の視点がはっきりと現れている文章でもある。「脳内でのニューロンの時空間的な発火パターンに対応してクオリアが生起している」という茂木氏独自の作業仮説をもとに、クオリアに関する一連の議論を展開している。
コウモリ論文を読む - サイト「迷宮旅行社」内の一ページ。ネーゲルのコ逆援助交際ウモリの思考実験について解説。
簡単に言えば、クオリアとはいわゆる「感じ」のことである。「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日逆援助交際酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、世界に対するあらゆる意識的な体験そのものである。
こうした非常に身近な概念であるにも関わらず、クオリアは科学的にどう取り扱われるべき概念なのかが良く分かっていない。この問題は「クオリア問題」または「意識のハードプロブレム」[1]と呼ばれている。すなわちクオリアとは一体どういうものなのか、そしてそれは私たちのよく知る「物質」と一体どういう関係にあるのか。こうした基本的な点に関してさえ全ての研究者からの合意を取り付けているような意見は未だにない。現在のクオリアに関する議論は、この「クオリア問題」または「意識のハードプロブレム」を何らかの形で解決しよう、または解決できないにしても何らかの合意点ぐらいは見出そう、という方向で行なわれており、「これは擬似問題にすぎないのではないか」という立場から「クオリアの振る舞いを記述する新しい自然法則が存在するのではないか」という立場まで、実に様々な考え方が提出されている。
現在こうした議論は心の哲学(心身問題や自由意志の問題などを扱う哲学の一分科)を中心に展開されており、古来からの哲学的テーマである心身問題を議論する際に中心的な役割を果たす概念として、クオリアの問題が議論されている。
また科学の側では、脳科学、認知科学といった人間の心を扱う学術分野を中心にクオリアという語が頻繁に使用される。
笛から発せられた空気振動(音)が、笛の音のクオリア「ピー」を発生させるまでの流れ(左端:笛、 青:音波、 赤:鼓膜、 黄:蝸牛、 緑:有毛細胞、 紫:周波数スペクトル、 オレンジ:神経細胞の興奮、 黄:笛の音のクオリア)。人が痛みを感じるとき、脳のニューロンネットワークを走る電気信号自体は、「痛みの感触そのもの」ではない。脳が特定の状態になると痛みを感じるという対応関係こそあるものの、両者は別のものである。
クオリアとは、ここで「脳の状態」だけからは説明できない「痛みの感触それ自体」にあたるものである。しかし、クオリア自体を言語で正確に記述することは難しい。
[編集] 類義語を採用しない理由
現象的意識や主観的体験などもクオリアとほぼ同義の言葉であるが、しかしながらこれらの言葉は「同時に体験されている種々雑多なクオリアの集まり全体」のことを指して使われる事が多い。例えば仕事帰りのあなたが体験しているクオリアには次のようなものがある。脇を走り抜ける車が出すブンブンとした音、夕暮れの空の赤さ、近所の家の換気扇から流れてくるおいしそうなシチューの匂い、心地よい疲労感などなど。このとき、同時に体験しているこれらクオリア全体のことを指して現象的意識、主観的体験などと言うのが一般的である。
クオリアとほぼ同じ意味内容を持った言葉は他にも多く存在する。西洋哲学においては表象、現象学における現象などが、また東洋哲学においては仏教における六境という概念などがクオリアと非常に近い意味を持つ。にも拘らずクオリアという新しい呼び名が使われる背景には、次の二つの理由がある。ひとつは、表象や現象という言葉が既に多義語であり、厳密な意味を持たせて使用するのが困難であること。そしてもうひとつは、先述の語とは用いられる文脈が異なることをはっきりさせる目的があることである。つまり表象や現象という言葉が純粋に思弁的な議論で用いられることが多いのに対し、クオリアという言葉は、必ずと言って良いほど、神経細胞や原子、物理法則、脳といった科学逆援助交際用語と一緒に登場し、かつそういった自然科学的な知識を重視したスタンスでの議論が行われる、という事である。この意味の厳密さへの志向と科学的な傾向の強さの二点から、旧来の用語とは異なる「クオリア」という新語が好んで使われる。
[編集] 様々なクオリア
エルンスト・マッハの視覚体験。座椅子に腰かけ、右目を閉じ、左目だけを開けていたときにマッハが経験した視覚体験の報告。上にはマッハの眉毛、右側にはマッハ自身の鼻が、下にはマッハ自身の口ひげが描かれている。
(白黒なのは当時の印刷技術の制約によるものに過ぎない。つまり、マッハが色盲であり、かつ、そのことを表現している、というのは事実に反する)人間の体験するクオリアは実に多彩であり、それぞれが独特の感じをもつ。たとえば視覚、聴覚、嗅覚からはそれぞれ全く違ったクオリアが得られる。
視覚体験 視覚体験には様々なクオリアがともなう。その単純さから最も頻繁に議論の対象にされるのが色であり、これには例えば、リンゴの赤い感じ、空の青々とした感じ、などがある。他にも形、大きさ、明るさ、暗さ、そして奥行きがある。片目で世界を眺めるよりも、両目で世界を眺めた方が、世界はより三次元である。つまり奥行きのクオリアが伴なう。
聴覚体験 聴覚からもたらされるクオリアも非常に豊かである。笛から発せられた空気振動がもたらすピーッというあの感じ、また特定の高さの音を同時に聞いたとき、つまりマイナーコードやメジャーコードといった和音を聞いたときに受けるあの感じ、そしてそれらの音が時間的につらなったときに受けるあの感じ、つまり音楽を聞いたときにうける独特の感覚などである。
触覚体験 触覚からもたらされるクオリアには以下のようなものがある。シルクの布を撫でた時に感じられるツルツルした感触、無精ひげの生えたあごを撫でた時に感じられるザラザラした感触、水を触ったときの感じ、他人の唇に触れたときの柔らかい感じなど。
メントール分子 この形の分子を吸い込むと、ミント(ハッカ)の香りがする。
硫化水素分子 この形の分子を吸い込むと、温泉の香りがする。嗅覚体験 嗅覚から得られるクオリアは、もっとも言葉で表現しにくい感覚のひとつである。朝、台所から流れてくる味噌汁の香り、病院に漂う消毒液の匂い、公衆便所の芳香剤の臭いなど。それぞれがどのような香りなのか説明してみろ、と言われても説明に困るのではないだろうか。分子レベルのメカニズムとしては、臭いは鼻腔の奥の嗅細胞において検知される。ここで鍵と鍵穴の仕組みで、レセプターに特定の分子が結合した際に、特定の香りが体験される。しかしながら、ある特定の形状の分子が、なぜある特定の香りをともなっているのか、この組み合わせはかなり恣意的に思える。この組み合わせがどのように成立しているかは、依然として何も分かっていない。
味覚体験 味覚は甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の五つの基本味から構成されていると考えられており、これらの組み合わせによって数々の食料・飲料品の味が構成されている。分子レベルのメカニズムは、嗅覚と同様に、舌にある味覚受容体細胞において、鍵と鍵穴の仕組みでレセプターに特定の分子が結合すると、特定の味が体験されることになる。しかしながら、嗅覚の場合と同様、ある特定の形状の分子が、なぜある特定の味をともなっているのか。この組み合わせが成立している背景については、依逆援助交際然何も分かっていない。
冷熱体験
痛覚
他の身体感覚
心的表象
意識的思考
感情
自分という感覚
このようにクオリアが持っている基本的に異なったいくつかの種類のことを感覚のモダリティーと呼ぶ。しかし時には違ったモダリティーが混ざり合うこともあり、そのような現象は共感覚と呼ばれている。
[編集] クオリアに関する思考実験
逆転クオリア (Inverted qualia) 同じ波長の光を受け取っている異なる人間は同じ「赤さ」を経験しているのかクオリアの問題を扱った思考実験に以下のようなものがある。
逆転クオリア
同等の物理現象に対して、異質のクオリアがともなっている可能性を考える思考実験。色についての議論が最も分かりやすいため、色彩について論じられることが最も多い。同じ波長の光を受け取っている異なる人間が、異なる「赤さ」または「青さ」を経験するパターンがよく議論される。逆転スペクトルとも呼ばれる。
哲学的ゾンビ
全ての面で普通の人間と何ら変わりないが、クオリアだけは持たない、という仮想の存在。心の哲学において、クオリアという概念を詳細に論じるためによく使われる。
マリーの部屋
生まれたときから白黒の部屋に閉じ込められている仮想の少女マリーについてのお話。マリーは白、黒、灰色だけで構成された部屋の中で、白黒の本だけを読みながら色彩についてのありとあらゆる学問を修める。その後、この部屋から開放されたマリーは色鮮やかな外の世界に出会い、初めて色、というものを実際に体験するが、この体験(色のクオリアの体験)は、マリーのまだ知らなかった知識のはずである。この事からクオリアが物理化学的な現象には還元しきれない事を主張する。
コウモリであるとはどのようなことか
コウモリはどのように世界を感じているのか。コウモリは口から超音波を発し、その反響音を元に周囲の状態を把握している(反響定位)。コウモリは、この反響音をいったい「見える」ようにして感じるのか、それとも「聞こえる」ようにして感じるのか、または全く違った風に感じるのか(ひょっとすると何ひとつ感じていないかも知れない)。こうしてコウモリの感じ方、といった事を問うこと自体は出来るが、しかし結局のところ我々はその答えを知る術は持ってはいない。このコウモリの議論は、クオリアが非常に主観的な現象であることを論じる際によく登場する[2][3]。
[編集] 自然科学との関係
たとえばリンゴの色について考えた場合、自然科学の世界では「リンゴの色はリンゴ表面の分子パターンによって決定される」とだけ説明される。つまり、リンゴ表面の分子パターンが、リンゴに入射する光の内特定の波逆援助交際長だけをよく反射し、それが眼球内の網膜によって受け取られると、それが赤さの刺激となるのだ、と。 そしてこの一連の現象の内、次のような点に関しては神経科学・物理学・哲学といった専攻や立場の違いに関わりなく、ほぼ全ての研究者の間で意見が一致する。
どのような分子がどのような波長の光をどれぐらい反射するのか(⇒光化学)
反射した光は、眼球に入った後、どのようにして網膜の神経細胞を興奮させるのか(⇒網膜)
その興奮は、どのような経路を経て脳の後部に位置する後頭葉(視覚野)まで伝達されるのか(⇒視神経)
後頭葉における興奮は、その後どのような経路を経て、脳内の他の部位に伝達していくのか(⇒神経解剖学)
だが一般に、こうした物理、化学的な知見を積み重ねても最後のステップ、すなわち「この波長の光がなぜあの「赤さ」という特定の感触を与え、この範囲の光はどうしてあの「青さ」という特定の感触を与えるのだろうか」といった問題は解決されないまま残されてしまうことになる。この現在の自然科学からは抜け落ちている残されたポイント、すなわち「物理的状態がなぜ、どのようにしてクオリアを生み出すのか」という問題について、1994年にオーストラリアの哲学者ディビッド・チャーマーズは、「それは本当に難しい問題である」として「ハード・プロブレム」という名前を与えた。
[編集] クオリアの自然化
向精神薬や脳表電気刺激の実験などからも分かるように、「脳の物理的な状態」と「体験されるクオリア」の間には緊密な関係がある。しかしながらそれが具体的にどのような関係にあるのかは未だ明らかではない。この「脳の物理的な状態」と「体験されるクオリア」がどのような関係にあるのか、という問題に対しては、抽象的なレベルにとどまってはいるが様々な仮説が提唱されている。こうした「クオリアを整然とした自然科学(とりわけ物理学)の体系の中に位置づけていこう」という試みは、クオリアの自然化 (Naturalization of Qualia) と呼ばれ、心の哲学における重要な議題のひとつとなっている[4]
[編集] クオリアに関する様々な立場
クオリアに関する議論は様々な論点が知られているが、中でも最も大きな論争となるのは、その存在論的な位置づけに関する議論である。つまりクオリアは現在の物理学の中でどこに位置づけられるのか、という問題である。この問題に対する考え方の詳細は論者によって様々であり、一概に分類することはできないが、おおよそ以下の三種類に分けることができる。物理主義的立場、二元論的立場、そして判断保留型、の三つである。
[編集] 物理主義的立場
クオリアは何か非常に真新しく、現在の物理学の中には含まれていないものように見えるが、そんなことはない、すでに含まれているのだ、という立場。こうした立場は一般に物理主義的と呼ばれる。この立場を取る世界的に有名な論者としてダニエル・デネット[5]、チャーチランド夫妻(パトリシア・チャーチランド、ポール・チャーチランド)が、また日本語圏で有名な論者として信原幸弘[6]、金杉武司[7]がいる。この立場ではフロギストン、カロリック、生気といった科学史上の誤りを例にとって、クオリアもそうした例のひとつに過ぎないと考える。
[編集] 二元論的立場
クオリアは現在の物理学の範囲内には含まれていない、と考える立場。つまり既知の物理量の組み合わせでクオリアを表現することはできない、という立場。こうした立場は一般に二元論的と呼ばれる(ただし二元論と呼ばれてはいるが、霊魂や魂の存在を仮定するデカルト的な実体二元論を主張しているわけではない点注意されたい)。この立場は大きく次の二つに分かれる。ひとつは「物理学の拡張によって問題は解決される」という立場。そしてもう一つは「そもそも私達人間にはこの問題は解けない」という立場である。
物理学拡張派
クオリアは現在の物理学に含まれていないから、クオリアを含んだより拡張された物理学を作ろう、という立場。世界的に有名な論者としてデイビッド・チャーマーズ[8]、ロジャー・ペンローズ[9]が、また日本語圏で有名な論者として茂木健一郎[10]がいる。この立場には二つの違った流れがある。
1.情報に注目する立場
クオリアと物理現象の間をつなぐ項として、情報に注目している一連の研究の流れがある。大元はデイビッド・チャーマーズが提唱した情報の二面説(Dual-aspect Theory of Information)で、そこにジュリオ・トノーニの情報統合理論などが続く[11]。
客観収縮理論によると、波動関数が収縮する際に、意識体験(クオリア)が生まれる、とされる。2.量子力学に注目する立場
クオリアと量子力学における観測問題との間に何らかの関係があるのではないか、と考える一連の研究の流れがある。中でも最も有名なものに、ロジャー・ペンローズとスチュワート・ハメロフの提唱する波動関数の客観収縮理論(Orch-OR Theory)がある[12][13]。この理論によれば、脳内でチューブリンというタンパク質の波動関数が収縮する際に、意識体験(クオリア)が生まれる、とされる。そしてこの収縮が連続して継起することで意識の流れが生み出される、と。ただこれは理論物理学者が提示している説とはいえ、その内容はまだいたって概念的なものであり、理論の詳細が数式や方程式の形で具体的に示されているわけではない。
ニューミステリアン
クオリアは現在の物理学に含まれておらず、ハードプロブレムは依然として残っているが、私達人間にはこの問題は解くことは出来ないだろう、と考える立場。代表的な論者にトマス・ネーゲル、コリン・マッギン[14]、スティーブン・ピンカーなどがいる。人間という種が、その先天的な脳構造に由来して認知能力に関してある一定の限界を持っており、その外側にある物事が人間には理解できない、という認知的閉鎖(英:Cognitive closure)の概念などをその基軸に置く。
[編集] 判断保留型
NCC 探索の基盤となる枠組み。散歩しているイヌ(一番左)を見ている人(左から二つ目)の脳内で起きている様々な神経細胞の発火(左から三つ目)の集まりの うち、その一部がNCCとして(図中の丸で囲まれている部分)、心に浮かぶイヌの像(一番右)つまり主観的な意識体験を生み出す役割を担っている、とす る。クリストフ・コッホに代表される一部の神経科学者たちは、こうした考え方のもと、NCCを発見・同定することを目指して研究を行なっている。ハード・プロブレムについて机上でいくら議論を積み重ねても謎は解けそうにもない、と考える立場。だから哲学者がやってるような形逆援助交際而上学的な議論は一時脇に置いといて(判断保留にして)、まずは実証的なデータを積み重ねていこう、と主張する。この立場の代表的人物としてフランシス・クリック[15]、クリストフ・コッホ[16]がいる。こうした考えを背景に持つ研究で有名なものとして以下のようなものがある。
NCCの探索
意識と相関するニューロン(NCC:Neural correlates of consciousness 特定の意識体験を起こすのに必要な最小のニューロンのメカニズムとプロセス)を同定していく研究[17]。フランシス・クリックとクリストフ・コッホが先頭を切る。
[編集] 歴史
クオリアという言葉は、「質」を意味するラテン語に由来する。この言葉自体の歴史は古く、4世紀に執筆されたアウグスティヌスの著作「神の国」にも登場する。しかし現代的な意味でこのクオリアという言葉が使われ出すのは、20世紀に入ってからのことである。まず1929年、アメリカ合衆国の哲学者クラレンス・アーヴィング・ルイスが著作『精神と世界の秩序』[18]において現在の意味とほぼ同じ形でクオリアという言葉を使用する。
私達に与えられる異なる経験の中には、区別できる質的な特徴があり、それらは繰り返しあらわれているものだと考えられる。そしてこれらには何らかの普遍的なものだと考えられる。私はこれを「クオリア」と呼ぶことにする。クオリアは普遍的だが、逆援助交際様々な経験から得られるものを比較していくならば、これらは対象の特性とは区別されなければならない。この二つの混同は、非常に多くの歴史上の概念に見られ、また現代の基礎的な理論においても見られる。クオリアはダイレクトに直感され、そして与えられるものであり、純粋に主観的なものであるため、何らかの勘違いといった類の話ではない。
– ルイス『精神と世界の秩序』(1929)
その後、1950年代から1960年代にかけて、ルイスの教え子であるアメリカの哲学者ネルソン・グッドマンらによってこの言葉が広められる[19]。1974年には、クオリアの問題にとって大きい転機となる論文が現れる。アメリカの哲学者トマス・ネーゲルが提示した「コウモリであるとはどのようなことか」という思考実験において[2][3]、物理主義はクオリアの具体的な表れについて、完全に論じ切れていない、という主張が強くアピールされる。1982年にはオーストラリアの哲学者フランク・ジャクソンが、メアリーの部屋という思考実験を提唱し、普通の科学的知識の中にはクオリアの問題は還元しきれないのではないか、という疑念が提唱される[20]。こうしたネーゲル、ジャクソンの論文が登場しはじめた1970年代後半あたりから、徐々に科学や物理学との関連の中でクオリアの議論が展開されることが多くなる。最終的にこの流れを決定付けるのは、オーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズである。1995年から1997年にかけてチャーマーズは一連の著作[1]を通じて、現在の物理学とクオリアとの関係について、非常に詳細な議論を展開する。この議論が大きな反響を呼び、今まで一部の哲学者の間だけで議論されていたクオリアの概念が広い範囲の人々(脳科学者のみならず工学者や理論物理学者などまで)に知れ渡るきっかけのひとつとなる。以後、現在に至る。
[編集] 発展
クオリアを言語や物理的特性として記述しきることができないことは、哲学でしばしば議論される幾つかの疑問と結びついている。
クオリアの科学はどのようにすれば可能なのか。科学的方法論に基づいてクオリアを扱っていこうとした時に出会う最大の困難は、実験によってクオリアを測定することが出来ない、という点である。このことを『我々は意識メーターを持たない』などと比喩的に表現する事もある。どうすればクオリアや意識を科学の表舞台に引き上げることができるのか。科学哲学の知見を絡めて議論される。
また、人工知能など、一般に意識を持つと考えられていないものが、センサーを通じて光の波長を処理できるとしたら、そのときその人工知能には意識があり、人工知能は赤さを感じているのか[21](⇒人工意識)。
自分以外の人間に意識があり、クオリアを経験しているのか(⇒他我問題、独我論)。
[編集] 脚注
^ a b デイヴィッド・チャーマーズがハード・プロブレムについて論じた二本の論文。"Facing Up to ..."に対して寄せられた様々な批判に答える形で出されたのが"Moving Forward on ..."
Chalmers, David J. (1995) "Facing Up to the Problem of Consciousness". Journal of Consciousness Studies 2(3):pp. 200-219. pdf
Chalmers, David J. (1997). "Moving Forward on the Problem of Consciousness". Journal of Consciousness Studies, 4, pp. 3-46. pdf
^ a b トマス・ネーゲル. (1974). "What Is it Like to Be a Bat?", Philosophical Review, pp. 435-50. オンライン・テキスト
^ a b トマス・ネーゲル(著), 永井均(訳) 『コウモリであるとはどのようなことか』 勁草書房 1989年 ISBN 4-32-615222-2
^ フレッド・ドレツキ著、鈴木貴之訳 『ジャン・ニコ講義セレクション 2 心を自然化する』 勁草書房 2007年 ISBN 978-4-326-19958-7
^ ダニエル・デネット 『逆援助交際解明される意識』 青土社 1998年 ISBN 4-7917-5596-0
^ 逆援助交際信原幸弘著 『意識の哲学―クオリア序説』 岩波書店、2002年 ISBN 4000265881
^ 金杉武司著 『心の哲学入門』 勁草書房 2007年 ISBN 978-4-326-15392-3
^ デイヴィッド・チャーマーズ著, 林一訳 『意識する心』 白揚社 2001年 ISBN 4-8269-0106-2
^ ロジャー・ペンローズ著 林一訳『心の影 意識をめぐる未知の科学を探る』みすず書房 一巻 ISBN 4-622-04126-X 2001年、 二巻 ISBN 4-622-04127-8 2002年4月
^ 茂木健一郎著 『脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか』 日経サイエンス社 1997年 ISBN 4532520576
^ ジュリオ・トノーニ "An information integration theory of consciousness", BMC Neuroscience 2004, 5:42. doi:10.1186/1471-2202-5-42
^ スチュワート・ハメロフ, ロジャー・ペンローズ. "Conscious Events as Orchestrated Space-Time Selections" Journal of Consciousness Studies, Volume 3, Number 1, 1996 , pp. 36-53(18)
^ 上の論文の邦訳 スチュワート・ハメロフ、ロジャー・ペンローズ著、茂木健一郎訳「意識はマイクロチューブルにおける波動関数の収縮として起こる」『ペンローズの<量子脳>理論―心と意識の科学的基礎をもとめて』pp.139-194収録、<ちくま学芸文庫> 筑摩書房 2006年、 ISBN 978-4480090065
^ コリン・マッギン著、石川幹人、五十嵐靖博訳 『意識の<神秘>は解明できるか』 青土社 2001年 ISBN 4-7917-5902-8
^ フランシス・クリック, クリストフ・コッホ, "A framework for consciousness", Nature Neuroscience, (2003) Volume 6, Number 2, pp.119-126.
^ クリストフ・コッホ著、土谷尚嗣、金井良太訳 『意識の探求―神経科学からのアプローチ』 岩波書店 2006年 上巻:ISBN 4000050532 下巻:ISBN 4000050540
^ Florian Mormann, クリストフ・コッホ "Neural correlates of consciousness". Scholarpedia, 2(12):1740
^ Lewis, C.I. (1929) "Mind and the world order". New York: C. Scribner's Sons.
復刻版 Lewis, C.I. "Mind and the World-Order: Outline of a Theory of Knowledge" Dover Pubns 1991年 ISBN 0486265641
^ ネルソン・グッドマン The Structure of Appearance. Harvard UP, 1951. 2nd ed. Indianapolis: Bobbs-Merrill, 1966. 3rd ed. Boston: Reidel, 1977.
^ フランク・ジャクソン (1982年) "Epiphenomenal Qualia", Philosophical Quarterly, vol. 32, pp. 127-36. オンライン・テキスト
^ 柴田正良 『ロボットの心』 講談社http://gyakuenjokousaida.blog45.fc2.com/〈講談社現代新書〉 2001年 ISBN 4-06-149582-8
[編集] 関連項目
主体と客体
美意識
[編集] 参考文献
デイビッド・チャーマーズ(著)、林一(訳)『意識する心-脳と精神の根本理論を求めて』白揚社 (2001年) ISBN 4-8269-0106-2(翻訳元は "The Conscious Mind: In Search of a Fundamental Theory" (1996). Oxford University Press. hardcover: ISBN 0-19-511789-1, paperback: ISBN 0-19-510553-2 。意識のハードプロブレムについて論じた一冊。この本の要旨は以下の三点。1.脳に関する知見を現在の物理学の枠内で深めていっても、クオリアについての説明は出てこない(この論証に哲学的ゾンビが使われる)。2.ゆえに現在の物理学は拡張されなければならない。3.この拡張は、物理状態とクオリアの間をつなぐ共通項として"情報"を基礎に置いていくようなものになるはずである。 )
[編集] 外部リンク
[編集] 日本語
クオリア3 - 「哲学的な何か、あと科学とか」内の一ページ。現在の物理学の中にクオリアを還元仕切れない、という点について説明している。
Qualia F.A.Q. - 心の哲学の研究者である茂木健一郎が運営するサイト、「クオリア・マニフェスト」内の一ページ。クオリアについてのよくある質問と、それに対する簡潔な返答をまとめている。
クオリア・マニフェスト - 同じく茂木氏のサイト、「クオリア・マニフェスト」内の一ページ。クオリア問題の歴史、意味、そして重要性について語っている。現在の心脳問題の概況を知るのにも使える一ページ。
クオリアとは何か? - 同じく茂木氏のサイト、「クオリア・マニフェスト」内の一ページ。このページではクオリアについて、かなり踏み込んだ解説をしており、茂木氏の研究上の視点がはっきりと現れている文章でもある。「脳内でのニューロンの時空間的な発火パターンに対応してクオリアが生起している」という茂木氏独自の作業仮説をもとに、クオリアに関する一連の議論を展開している。
コウモリ論文を読む - サイト「迷宮旅行社」内の一ページ。ネーゲルのコ逆援助交際ウモリの思考実験について解説。
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逆援助交際煮干し(にぼし)は小魚を煮て干したもので、主に出汁をとる材料として使われる。カタクチイワシで作ったものが最も一般的だが、マイワシ、ウルメイワシ、キビナゴ、アジ、サバ、トビウオ(あご)などを原料としたものもある。イリコ(炒り子)、じゃこ(雑魚)、だしじゃこ(出汁雑魚)など多くの別名がある。
香川県伊吹島産など瀬戸内海で漁獲したカタクチイワシを加工したものが有名。長崎県が日本最大の生産地である。
煮干の原料はいわゆる青魚で不飽和脂肪酸を多く含むので、製造から流通、保存に至る管理が適切に行われないと、脂肪の酸化がおきて品質が低下する。酸化を防ぐ意味で原料自体も脂があまりのっていないものが適しており、大きな魚を煮干にしないのはこのためである。また、魚を原料とするた逆援助交際め生臭みが出やすいので加工時の鮮度も重要となる。
加工材料の鮮度は製造者の努力によって保つことができるが、脂肪の酸化は製造する際の乾燥工程から始まってしまうため防ぐことは事実上不可能である。このため、酸化防止剤としてBHAやビタミンEが添加される場合が多い。また、量販店で販売される製品の多くは、密閉容器に脱逆援助交際出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(目刺し から転送)
移動: ナビゲーション, 検索
目刺(めざし)は、干物の一種。
カタクチイワシやウルメイワシなどのイワシ類の小魚を塩漬けした後、目から下あごへ竹串やワラを通して数匹ずつ束ね、乾燥させたもの。通常はそのままではなく、焼いて食べる。
また「目刺」は春の季語のひとつでもある。
ちりめんじゃこ(縮緬雑魚)は、イワシ類(カタクチイワシ・マイワシ・ウルメイワシ・シロウオ・イカナゴなど)の仔稚魚を食塩水で煮た後、天日などで干した食品。ごく小さな魚を平らに広げて干した様子が、細かなしわをもつ絹織物のちりめん(縮緬)を広げたように見えることからこの名前がついた。
収量が多く、油分の少ないカタクチイワシの仔魚が用いられることが多い。ちりめんじゃこの体長は一般に10〜40mmのものを指し、20mm前後のものが商品として一般的である。また、牛乳と共にカルシウムを多く含む食品の代名詞ともなっている。
ちりめんじゃこは関西での呼び名で比較的良く乾燥させたものを指す。関東ではシラス干しと呼ばれ生乾きの状態で出荷されていたが、現在ではその区別はあいまいになってきている。
[編集] 漁獲
春から秋はカタクチイワシの仔魚、冬季はマイワシやウルメイワシの仔魚が漁獲される。マイワシは2〜3月に日本の南側の海で産卵し、その稚魚は3〜5月に太平洋岸や瀬戸内海で水揚げされる。主な産地は沖縄、愛媛、徳島、高知、兵庫、和歌山、愛知、静岡、広島。
[編集] 加工
いったん漁獲された仔魚は傷みが早いので、水揚げ当日に製品まで加工される。この項では天日干しによる生産を解説する。
[編集] 漁獲
当日天日干しする関係から、漁期中でも雨の日は出漁しない。毎朝当日の天候や波の状況を確認した上で出漁の可否を判断する。漁船は単独または2隻一組になって目の細かい網を引く。漁獲後は直ちに漁港に帰還するが、出漁から帰港まで1〜数時間である。
[編集] 選別
漁港で水揚げされた仔稚魚は直ちに加工場に運ばれる。細かい網での漁なのでイカ・タコ・アジ・サバ等の仔稚魚が混入しており、これらの異種魚を除く。この状態の生の仔稚魚を高知県ではドロメと呼び、酢味噌で味付けしたものは酒の肴として珍重される。
[編集] 煮る
漁船の帰港時には既に大釜に食塩水が煮立っている。選別された仔稚魚は釜で短時間煮られる。釜から取り出した未乾燥品を『釜揚げシラス』と呼び、冷凍して出荷する。(観光地ではみやげ物として地元の冷凍釜揚げシラスを売っている。)
[編集] 天日にて乾かす
日当たり・風通しの良いところに細かい網を水平に開き、その上に煮あがったちりめんじゃこを拡げる。これは手作業で行われる。干す時間は当日の天気や、風の具合によって判断する。
1980年代までは、日持ちがする塩分の高い(塩辛い)物が好まれたが、最近は健康への関心の高まりから減塩された製品が多くなっている。
まれに小さなタコやエビ、タツノオトシゴが混入される場合がある。
新鮮な獣や鳥の肉・魚肉を切り取って生のまま食べることは人類の歴史とともに始まったと言ってよいが、人類の住むそれぞれの環境に応じて、生食の習慣は或いは残り、或いは廃れていった。日本は四方を海に囲まれ、新鮮な魚介類をいつでも手に入れられるという恵まれた環境にあった為、魚介類を生食する習慣が残った。即ち「なます(漢字では「膾」、また「鱠」と書く)」である。
「なます」は新鮮な魚肉や獣肉を細切りにして調味料を合わせた料理で、「なます」の語源は不明であるが、「なましし(生肉)」「なますき(生切)」が転じたという説がある。一般には「生酢」と解されているが、それは調味料としてもっぱら酢を使用するようになったことによる付会の説であり、古くは調味料は必ずしも酢とは限らなかった。この伝統的な「なます」が発展したものが刺身である。
なお、「鱠」は文献上は古代中国の膾が先行するので、中国から日本に伝わったという可能性もあるが、もともと原始的で単純な料理でもある上、中国では肉や野菜を生食する習慣は疫病の流行などで早くに廃れたので、日本の「なます」は独自に発生、発達したと見るのが自然である。
[編集] 刺身の登場
『鈴鹿家記』応永6年(1399年)6月10日の記事に「指身 鯉イリ酒ワサビ」とあるのが刺身の文献上の初出である。醤油が普及する以前は、生姜酢や辛子酢、煎り酒(鰹節、梅干、酒、水、溜まりを合わせて煮詰めたもの)など、なますで用いられる調味料がそのまま用いられた。「切り身」ではなく「刺身」と呼ばれるようになった由来は、切り身にしてしまうと魚の種類が分からなくなるので、その魚の「尾鰭」を切り身に刺して示したことからであるという。一説には、「切る」を忌詞(いみことば)として避けて「刺す」を使ったためともいわれる。いずれにせよ、ほどなくして刺身は食材を薄く切って盛り付け、食べる直前に調味料を付けて食べる料理として認識されるようになったらしく、『四条流包丁書(しじょうりゅうほうちょうがき)』(宝徳元年・1489年)では、クラゲを切ったものや、果ては雉や山鳥の塩漬けを湯で塩抜きし薄切りしたものまでも刺身と称している。関西では江戸時代以降、「作り身」「お造り」などというようになったが、これは「作る」という動詞に調理するという意味があるため、魚の切り方を「-作り」という表現で示すようになったことによる。ただし、原則として鯛などの海の物に限られていたようで、淡水魚の場合は関西でも「刺身」といったことが幕末の喜多川守貞『守貞謾稿(近世風俗志)』に記されている。
[編集] 打ち身と刺身
刺身とよく似た料理に「打ち身」がある。文献によっては刺身と混用されていることもあるが、こちらは総じて刺身よりも分厚く切り、盛り付けに鰭(ひれ)だけでなく皮や中落ちまでも利用するなど、調理法が極めて多彩かつ複雑であった。しかし、対象となる魚の種類が鯛か鯉に限られていたこともあり、より簡便な刺身が普及するにつれ、室町末期にはほとんど刺身と区別がつかなくなり、江戸時代に入るとともに料理名としても廃れた。
[編集] 近世〜現代
料理としての刺身は、江戸時代に江戸の地で一気に花開いた。そもそも京都は、鯉のような淡水魚を除けば新鮮な魚介類が得られにくいため、いわゆる江戸前の新鮮な魚介類が豊富に手に入る江戸で、刺身のような鮮度のよい魚介類を必要とする料理が発達するのは当然のことであった。幕末には、京阪は四季に関係なく鯛ばかりを使用している上、切り方から盛り付けまで乱雑である(『守貞漫稿』)と批判されるほどにまで差がついていた。近代に入ると、流通の発達や冷蔵設備の普及、冷凍技術の発達に伴い、日本全国津々浦々で新鮮な刺身が食べられるようになった。そして今では日本料理の代表格として、寿司とともに日本国外にも進出を果たし、「sashimi」で通じるほどにまでなっている。英語圏の魚市場や魚屋では、生食出来得る品質の魚介類を指して「サシミ・クオリティー(Sashimi Quality)」と呼称・表示することも一般的となりつつある。
刺身を生の魚の切り身とすると、日本以外でも伝統的に食べている地域、民族はある。
ホジェン族(ナナイ)
中国・ロシアのアムール川(黒龍江)流域やその付近に住むホジェン族(ナナイ)には、薄切りや細切りにした刺身を食べる伝統がある。またルイベに似た凍った薄切りの刺身もある。従来は味付けをしていなかったが、最近は醤油、酢などで味付けをして食べる。
閩西客家
中国福建省の清流県や寧化県には客家が住んでいるが、ソウギョの刺身を食べる伝統がある。味付けは、唐辛子、醤油、酢など。近年は練りわさびも使われる。ソウギョには有棘顎口虫が寄生している事が多く、生食は非常に危険であるが、この両県の渓流に棲むソウギョに限っては寄生していないといわれ、問題なく食べられ続けている。
広東省仏山市
中国広東省仏山市の順徳区や南海区周辺では、薄切りにしたソウギョなどの淡水魚または海水魚に、ネギ、落花生、ニンニク、唐辛子、ゴマなどの薬味をのせ、醤油や酢などで和えて食べる「魚生 ユーサーン」という料理がある。彩りよく盛るため「七彩魚生 チャッチョイユーサーン」ともいう。肝吸虫、有棘顎口虫などの寄生虫の問題があるため、衛生当局は生で食べないように呼びかけているが、相変わらず食べる地元民は多い。日本の広東料理店では寄生虫の問題がほとんどない鯛などを使って作られる事が多い。近年は香港の海鮮料理やヌーベルシノワの流行もあり、海水魚を使って出す店が中国でも増えており、また、伝統的な味付けにとらわれず、ドレッシング風のたれが使われる例も多くなった。余熱が加わり、白くなるが、生の魚の切り身である「魚生」を熱々の粥に入れ、「魚生粥」(ユーサーンチョッ)として食べることは、広州や香港でも行われている。
シンガポール、マレーシア
シンガポールやマレーシアの華人は、旧正月の、特に7日に「魚生 ユーサーン」を食べる習慣がある。七草粥ならぬ、「上七羹 ションチャッカーン」という7種の材料を加える正月のスープと、広東省南海、順徳周辺の「七彩魚生」が合わさったものとも言われる料理で、ソウギョやサケなどの刺身の上に、ショウガ、ダイコン、柑橘類の皮などの細切りや落花生、小麦粉を揚げて作るフレークを乗せ、甘酸っぱい調味料を加える。テーブルに出された後で、出席者が口々に「撈起 ローヘイ」、「發 ファーッ」などと唱えながら箸で混ぜ合ってから食べ、商売で儲かることを祈願するので、この食べ方は「撈魚生 ローユーサーン」と呼ばれている。企業や商店の新年会にも欠かせない料理でもある。
フィリピン
フィリピンでは「キニラウ」という生魚を用いる家庭料理がある。カジキマグロや鰆などの海水魚を生のまま切り身にして酢でしめ、塩、生姜、カラマンシー(シークヮーサー)、玉葱、キュウリ、ココナッツミルクなどでマリネする。漁師料理が一般化したもので、飲酒の際のおつまみという位置づけである。
ハワイ
ハワイには「ポケ(ポキ)」と呼ばれる刺身料理がある。マグロやカツオなど赤身の魚が主であるが、日本から移民の影響でタコもよく用いられる。
南米
特に太平洋岸のペルーやチリで一般的に食される「セビチェ」という料理が有名。地方によって若干調理法は異なるが、軽く湯引きした物や、マリネ状にしたもの、そのまま生のウニや白身魚のような魚介類を、ライムや塩、生姜などの薬味、チリソースなどと和えて食する。単品で食したり、また色んな魚介類を混ぜ食したりと調理法は様々である(実際、調味料を醤油に変えれば、正味日本の刺身になるものもある)元々は南米に連れてこられた奴隷たちが、主人の目を盗んで、ばれないように陰に隠れて盗んだ魚介類をそのままライムや塩などをかけてガブついて腹に収めていた奴隷料理が起源と言われており、それが発展して現在の一般的な家庭料理になった。元々新鮮でおいしい魚介類が豊富に捕れる地域の料理であるため、日本の刺身的な感覚で食せるため、当地に出張となった日本人サラリーマンなどに非常に重宝されている料理でもあり、南米のような場所でこういう生食ができることを意外に思う人も多い。
オランダ
オランダ人のニシン好きは有名で、オランダでは、ニシンをごく普通に生食する。三枚に下ろしたニシンにレモンをかけてそのまま口に入れたり、サンドイッチにしたりと様々な方法で食される。ニシンの生食を扱う屋台などもごく普通に町中にある。
[編集] 世界の料理に取り込まれる刺身
20世紀には、刺身は各国の料理にも取り入れられることとなった。
1980年代になると、日本料理は欧米などでも流行し、各国の料理にも影響を与えるようになった。イタリア料理と結びついた例では、イタリアでは牛肉を用いて作るカルパッチョをマグロなどの魚で作り、供される事が多くなっている。ヨーロッパでは冷凍の刺身も簡単に購入できるようになっている。
日本が統治を行った台湾では、地元の海産物を使った刺身を食べる習慣が台湾人にも徐々に広まった。台湾の俗語では「沙西米」(サシミ)と呼ばれており、日本食としての扱いであるが、夜店の屋台でも食べさせる例は多い。クロマグロやカジキが好まれている。
韓国では刺身のことを「フェ(膾)」という。もとは文字通り「なます」の意であったが、日本統治時代以前に日本風の刺身がプサン(釜山)に伝わり、日本統治時代以降は全土に広まって、日本風の刺身をも「フェ」というようになった。今では一般的な料理として通用しているが、コチュジャンやニンニクを添えたりするなどの独自の変化を遂げている。
中国遼寧省の大連周辺でも、日本の統治時代の影響で、ヒラメなどの海水魚の刺身や生ウニを食べる習慣が一部の中国人にも残された。
中国の中華料理店でも順徳魚生の様にたれや薬味と和えて食べる料理だけでなく、イセエビやサーモンなどを切り分けて、練りわさびをたっぷり入れた醤油につけて食べる事が一般的になっている。
[編集] 問題点など
イメージ
生の魚肉を食する習慣が無い地域では、「日本では魚などを生のままで食べている」という理解を取ることがある。これは「気持ち悪い」という悪いイメージであり、生で食べることが良く思われていないことに因る。「生」を「釣ったばかりで未調理の丸のままの魚」の意味にとられている場合もある。
日本国外での危険
生で食べると食中毒や寄生虫に感染する危険がある。もちろん伝統的に食されているものは、そのような危険性が低いからこそ食べられ続けているのである。しかし、刺身に慣れた日本人が他国で刺身を求め、地元の料理人が伝統にない材料を刺身として提供し、そのような危険が生じる場合がある。顎口虫(がっこうちゅう)などはその例である。
生もの
鮮度の悪い魚、不衛生な調理では、食中毒を発生させる。
慣れ(?)
生の魚肉に体が慣れていない一部の人が刺身を食べることによって、腹を下すなどの変調を起こすことがある。
酸素剤と伴に封入され、酸化を防ぐ工夫が施されている。
購入時の目安として、背側が盛り上がりくの字に曲がっているものが鮮度のよい魚を加工したものである。逆に腹側が盛り上がるようなくの字になって腹が割れているものは、加工時の鮮度が悪かったもので、出汁をとる際に生臭味が強くでる。色合いは青みがかった銀白色が脂肪の酸化していない上質なもので、赤茶色になっているのは脂肪が酸化した粗悪な製品である。ただし、よほど酸化が進まないかぎり変色しないので、色で酸化の度合いを見極める事は専門家でも困難といわれている。
水出し法と煮出し法があり、水出しの方が雑味の少ない良質の出汁が取れる。頭と腹わたからは苦味や雑味が出るので下拵えとして取り除くと良いとされるが、水出しの場合は頭と腹わたから灰汁が出にくいため、それらから出る旨みを利用するために取り除かない方法もある。出汁が出やすいように、中骨に沿って2枚下ろしのように指で二つに割る。ただし、一般家庭で味噌汁等に使う場合には特別な下拵えをせずにそのまま使う場合も多い。なお、出汁を抽出した後に焼け火箸を入れると生臭み逆援助交際の元になっている成分が揮発し上品な出汁になるといわれている。出汁をとった後の煮干は出し殻として取り出すが、家庭料理ではそのまま汁の実として食べる場合もある。
水出し法 : 1000ml程度の水に50gほどの煮干を入れて一晩(10時間程度)出汁を抽出する。煮干を取り出した後に出汁を加熱して用いる。
煮出し法 : 1000ml程度の水に30gほどの煮干を入れて10分程度煮出す。
折衷法(最も一般的な方法) : 1000ml程度の水に30gほどの煮干を入れて30分から一晩程度出汁を浸出し、煮干を取り出さずに10分程度煮出す。 現代人のカルシウム不足を補うべき、「食べ(られ)る煮干」として発売される商品が増えている。そのように明記されないものであっても、一般にそのまま食べることができる。また、アーモンドなどのナッツ類と一緒に小袋にパッケージされた商品も、茶請けや酒のつまみとして長年にわたって日本人には愛好されている。カタクチイワシ(片口鰯) Engraulis j逆援助交際aponica は、ニシン目・カタクチイワシ科に分類される魚の一種。いわゆるイワシの一種で、人類の利用のみならず食物連鎖の上でも重要な魚である。最近、学名がE. japonicusと表記されることがあるが、男性名詞を修飾する際に用いるべきjaponicusを、女性名詞である属名Engraulisに対して用いるのは誤りである。成魚の全長は10-20cmほど。体色は背中側が青灰色で、腹側が銀白色をしている。鱗は円形をした「円鱗」(えんりん)だが剥がれやすく、漁獲された際に鱗が脱落してしまうことも多い。断面は背中側がやや膨らんだ卵形をしている。
マイワシ、ウルメイワシと同じくイワシの一種だが、カタクチイワシは目が頭部の前方に寄っていて、口が頭部の下面にあり、目の後ろまで大きく開くことが特徴である。和名も「口が頭の片側に寄っている」ことに由来する。また、他の2種よりも体が前後に細長い。分類上でも、マイワシとウルメイワシはニシン科(Clupeidae)だが、カタクチイワシはカタクチイワシ科(Engraulidae)である。
北海道から南シナ海までの西太平洋沿岸に分布する。内湾から沖合いまで、沿岸域の海面近くに大きな群れを作る。プランクトン食性で、泳ぎながら口を大きく開けて植物プランクトンや動物プランクトンを海水ごと吸い込み、鰓の鰓耙(さいは)でプランクトンを濾過摂食する。
一方、敵はカモメやカツオドリなどの海鳥、サメやカツオなどの肉食魚、クジラやイルカなどの海生哺乳類、イカ、人間など非常に多岐にわたり、人類の利用のみならず食物連鎖の上で逆援助交際も重要な生物である。カタクチイワシは天敵から身を守るために密集隊形を作り、群れの構成員全てが同調して同じ向きに泳いで敵の攻撃をかわす。これは他の小魚にも共通する防衛策である。対する敵はイワシの群れに突進を繰り返して群れを散らし、はぐれた個体を襲う戦法を取る。
産卵期はほぼ1年中だが、春と秋に産卵するものが多い。卵は楕円形の分離浮性卵で、1粒ずつがバラバラに水中を漂いながら発生する。孵化した稚魚は急速に成長し、1年経たずに繁殖ができるようになる。寿命は2年-3年ほどである。
[編集] 利用
カタクチイワシは日本で最も漁獲量の多い魚で、日本各地で巻き網や地引き網などで漁獲される。また、「シラス」は主にカタクチイワシの仔魚で、これも食用に多く漁獲されている。
鮮度の良いものは刺身など生で食べることもできるが、傷みが早く入手が限られる。鰯の中でも新鮮なカタクチイワシの刺身は、最も美味しいと言われている。ただし季節と漁場によってはアニサキスの寄生が見られ、注意を要する。そのため生食に際してはよく噛んで食べる逆援助交際事が肝要である。最も多い利用法は煮干し等の干物だが、良い干物の決め手もやはり鮮度で、加工作業は時間との戦いとなる。カタクチイワシが水揚げされると港や加工場はにわかに忙しくなる。
おもな利用法には以下のようなものがある。
畳鰯(たたみいわし) - 稚魚を板海苔状にまとめ干物にしたもの。
白子干し(しらすぼし) - 稚魚を塩茹でし干したもの。カルシウムを含む食品の代名詞でもある。やわらかいものから乾燥度合いにより「しらすちりめん」「太白ちりめん」「上乾ちりめん」に区別される。やや個体の大きいものは「かえりちりめん」と呼ばれる。
目刺し(めざし) - 立て塩をした後、数匹ずつ竹串に刺して乾燥させた干物。流通段階では竹串は外されていることが多い。乾燥度合いの違いにより「若干し」「丸干し」に分けられる。
煮干し(にぼし) - 茹でて乾燥させたもの。主に出汁をとるために利用される。
田作り(たづくり) - ゴマメ(小型のカタクチイワシを素干ししたもの)を砂糖と醤油で煮絡めたもの。御節料理の祝い肴として知られる。
アンチョビ - 三枚に下ろして塩漬けした後、植物油に漬け込んだもの。
ごま漬け - 千葉県九十九里地方の郷土料理。
調味料 - 魚醤またはたん白自己消化物と呼ばれる発酵調味料原料として用いられる。
食用以外にもカツオなど肉食魚の釣り餌、肥料などに用いられる。
[編集] 別名
日本では古くから食用に供されてきたため、地方ごとに様々な別名をもつ。ヒシコイワシ、シコ、シコイワシ、田作り(タヅクリ)、五万米(ゴマメ)、背黒鰯(セグロイワシ)、狼鰯(オオカミイワシ)、脹眼(ハンガン)、金山(カナヤマ)、丸(マル)、ヒラ逆援助交際レ、泥目(ドロメ)、ドロイワシ、ママゴ、エタレ、クロタレ、シラス、タレクチ、チリメン、タレ、ホオタレ、ホホタレ、ホウタレ、ブト、コシナガ、カエリ、カクハリなど、多種多様な呼び名がある。
カタクチイワシの近縁種 Engraulis ringens
[編集] 近縁種
カタクチイワシ属(Engraulis 属)は世界各地の熱帯・温帯の海から7種類ほどが知られ、どれも重要な漁業資源となっている。
逆援助交際E. australis (White, 1790)
E. anchoita Hubbs & Marini, 1935
E. encrasicolus (Linnaeus, 1758) - 東大西洋と西インド洋
E. eurystole (Swain & Meek, 1885)
E. japonica (Houttuyn, 1782) - カタクチイワシ
E. ringens Jenyns, 1842 - 太平洋の南アメリカ沿岸
E. mordax Girard, 1854
アンチョビ(Anchovy)はカタクチイワシ属、さらに広義にはカタクチイワシ科の各種を指す総称として用いられるが、日本で「アンチョビ」と呼んだ場合は魚よりも加工品を指すことが多い。逆援助交際
人妻・熟女以外も多いサイト→メルスタ
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電話認証、料金もそこそこリーズナブル。
でもサクラばかりですね。
無駄なお金は使わないように。
逆援助交際煮干し(にぼし)は小魚を煮て干したもので、主に出汁をとる材料として使われる。カタクチイワシで作ったものが最も一般的だが、マイワシ、ウルメイワシ、キビナゴ、アジ、サバ、トビウオ(あご)などを原料としたものもある。イリコ(炒り子)、じゃこ(雑魚)、だしじゃこ(出汁雑魚)など多くの別名がある。
香川県伊吹島産など瀬戸内海で漁獲したカタクチイワシを加工したものが有名。長崎県が日本最大の生産地である。
煮干の原料はいわゆる青魚で不飽和脂肪酸を多く含むので、製造から流通、保存に至る管理が適切に行われないと、脂肪の酸化がおきて品質が低下する。酸化を防ぐ意味で原料自体も脂があまりのっていないものが適しており、大きな魚を煮干にしないのはこのためである。また、魚を原料とするた逆援助交際め生臭みが出やすいので加工時の鮮度も重要となる。
加工材料の鮮度は製造者の努力によって保つことができるが、脂肪の酸化は製造する際の乾燥工程から始まってしまうため防ぐことは事実上不可能である。このため、酸化防止剤としてBHAやビタミンEが添加される場合が多い。また、量販店で販売される製品の多くは、密閉容器に脱逆援助交際出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(目刺し から転送)
移動: ナビゲーション, 検索
目刺(めざし)は、干物の一種。
カタクチイワシやウルメイワシなどのイワシ類の小魚を塩漬けした後、目から下あごへ竹串やワラを通して数匹ずつ束ね、乾燥させたもの。通常はそのままではなく、焼いて食べる。
また「目刺」は春の季語のひとつでもある。
ちりめんじゃこ(縮緬雑魚)は、イワシ類(カタクチイワシ・マイワシ・ウルメイワシ・シロウオ・イカナゴなど)の仔稚魚を食塩水で煮た後、天日などで干した食品。ごく小さな魚を平らに広げて干した様子が、細かなしわをもつ絹織物のちりめん(縮緬)を広げたように見えることからこの名前がついた。
収量が多く、油分の少ないカタクチイワシの仔魚が用いられることが多い。ちりめんじゃこの体長は一般に10〜40mmのものを指し、20mm前後のものが商品として一般的である。また、牛乳と共にカルシウムを多く含む食品の代名詞ともなっている。
ちりめんじゃこは関西での呼び名で比較的良く乾燥させたものを指す。関東ではシラス干しと呼ばれ生乾きの状態で出荷されていたが、現在ではその区別はあいまいになってきている。
[編集] 漁獲
春から秋はカタクチイワシの仔魚、冬季はマイワシやウルメイワシの仔魚が漁獲される。マイワシは2〜3月に日本の南側の海で産卵し、その稚魚は3〜5月に太平洋岸や瀬戸内海で水揚げされる。主な産地は沖縄、愛媛、徳島、高知、兵庫、和歌山、愛知、静岡、広島。
[編集] 加工
いったん漁獲された仔魚は傷みが早いので、水揚げ当日に製品まで加工される。この項では天日干しによる生産を解説する。
[編集] 漁獲
当日天日干しする関係から、漁期中でも雨の日は出漁しない。毎朝当日の天候や波の状況を確認した上で出漁の可否を判断する。漁船は単独または2隻一組になって目の細かい網を引く。漁獲後は直ちに漁港に帰還するが、出漁から帰港まで1〜数時間である。
[編集] 選別
漁港で水揚げされた仔稚魚は直ちに加工場に運ばれる。細かい網での漁なのでイカ・タコ・アジ・サバ等の仔稚魚が混入しており、これらの異種魚を除く。この状態の生の仔稚魚を高知県ではドロメと呼び、酢味噌で味付けしたものは酒の肴として珍重される。
[編集] 煮る
漁船の帰港時には既に大釜に食塩水が煮立っている。選別された仔稚魚は釜で短時間煮られる。釜から取り出した未乾燥品を『釜揚げシラス』と呼び、冷凍して出荷する。(観光地ではみやげ物として地元の冷凍釜揚げシラスを売っている。)
[編集] 天日にて乾かす
日当たり・風通しの良いところに細かい網を水平に開き、その上に煮あがったちりめんじゃこを拡げる。これは手作業で行われる。干す時間は当日の天気や、風の具合によって判断する。
1980年代までは、日持ちがする塩分の高い(塩辛い)物が好まれたが、最近は健康への関心の高まりから減塩された製品が多くなっている。
まれに小さなタコやエビ、タツノオトシゴが混入される場合がある。
新鮮な獣や鳥の肉・魚肉を切り取って生のまま食べることは人類の歴史とともに始まったと言ってよいが、人類の住むそれぞれの環境に応じて、生食の習慣は或いは残り、或いは廃れていった。日本は四方を海に囲まれ、新鮮な魚介類をいつでも手に入れられるという恵まれた環境にあった為、魚介類を生食する習慣が残った。即ち「なます(漢字では「膾」、また「鱠」と書く)」である。
「なます」は新鮮な魚肉や獣肉を細切りにして調味料を合わせた料理で、「なます」の語源は不明であるが、「なましし(生肉)」「なますき(生切)」が転じたという説がある。一般には「生酢」と解されているが、それは調味料としてもっぱら酢を使用するようになったことによる付会の説であり、古くは調味料は必ずしも酢とは限らなかった。この伝統的な「なます」が発展したものが刺身である。
なお、「鱠」は文献上は古代中国の膾が先行するので、中国から日本に伝わったという可能性もあるが、もともと原始的で単純な料理でもある上、中国では肉や野菜を生食する習慣は疫病の流行などで早くに廃れたので、日本の「なます」は独自に発生、発達したと見るのが自然である。
[編集] 刺身の登場
『鈴鹿家記』応永6年(1399年)6月10日の記事に「指身 鯉イリ酒ワサビ」とあるのが刺身の文献上の初出である。醤油が普及する以前は、生姜酢や辛子酢、煎り酒(鰹節、梅干、酒、水、溜まりを合わせて煮詰めたもの)など、なますで用いられる調味料がそのまま用いられた。「切り身」ではなく「刺身」と呼ばれるようになった由来は、切り身にしてしまうと魚の種類が分からなくなるので、その魚の「尾鰭」を切り身に刺して示したことからであるという。一説には、「切る」を忌詞(いみことば)として避けて「刺す」を使ったためともいわれる。いずれにせよ、ほどなくして刺身は食材を薄く切って盛り付け、食べる直前に調味料を付けて食べる料理として認識されるようになったらしく、『四条流包丁書(しじょうりゅうほうちょうがき)』(宝徳元年・1489年)では、クラゲを切ったものや、果ては雉や山鳥の塩漬けを湯で塩抜きし薄切りしたものまでも刺身と称している。関西では江戸時代以降、「作り身」「お造り」などというようになったが、これは「作る」という動詞に調理するという意味があるため、魚の切り方を「-作り」という表現で示すようになったことによる。ただし、原則として鯛などの海の物に限られていたようで、淡水魚の場合は関西でも「刺身」といったことが幕末の喜多川守貞『守貞謾稿(近世風俗志)』に記されている。
[編集] 打ち身と刺身
刺身とよく似た料理に「打ち身」がある。文献によっては刺身と混用されていることもあるが、こちらは総じて刺身よりも分厚く切り、盛り付けに鰭(ひれ)だけでなく皮や中落ちまでも利用するなど、調理法が極めて多彩かつ複雑であった。しかし、対象となる魚の種類が鯛か鯉に限られていたこともあり、より簡便な刺身が普及するにつれ、室町末期にはほとんど刺身と区別がつかなくなり、江戸時代に入るとともに料理名としても廃れた。
[編集] 近世〜現代
料理としての刺身は、江戸時代に江戸の地で一気に花開いた。そもそも京都は、鯉のような淡水魚を除けば新鮮な魚介類が得られにくいため、いわゆる江戸前の新鮮な魚介類が豊富に手に入る江戸で、刺身のような鮮度のよい魚介類を必要とする料理が発達するのは当然のことであった。幕末には、京阪は四季に関係なく鯛ばかりを使用している上、切り方から盛り付けまで乱雑である(『守貞漫稿』)と批判されるほどにまで差がついていた。近代に入ると、流通の発達や冷蔵設備の普及、冷凍技術の発達に伴い、日本全国津々浦々で新鮮な刺身が食べられるようになった。そして今では日本料理の代表格として、寿司とともに日本国外にも進出を果たし、「sashimi」で通じるほどにまでなっている。英語圏の魚市場や魚屋では、生食出来得る品質の魚介類を指して「サシミ・クオリティー(Sashimi Quality)」と呼称・表示することも一般的となりつつある。
刺身を生の魚の切り身とすると、日本以外でも伝統的に食べている地域、民族はある。
ホジェン族(ナナイ)
中国・ロシアのアムール川(黒龍江)流域やその付近に住むホジェン族(ナナイ)には、薄切りや細切りにした刺身を食べる伝統がある。またルイベに似た凍った薄切りの刺身もある。従来は味付けをしていなかったが、最近は醤油、酢などで味付けをして食べる。
閩西客家
中国福建省の清流県や寧化県には客家が住んでいるが、ソウギョの刺身を食べる伝統がある。味付けは、唐辛子、醤油、酢など。近年は練りわさびも使われる。ソウギョには有棘顎口虫が寄生している事が多く、生食は非常に危険であるが、この両県の渓流に棲むソウギョに限っては寄生していないといわれ、問題なく食べられ続けている。
広東省仏山市
中国広東省仏山市の順徳区や南海区周辺では、薄切りにしたソウギョなどの淡水魚または海水魚に、ネギ、落花生、ニンニク、唐辛子、ゴマなどの薬味をのせ、醤油や酢などで和えて食べる「魚生 ユーサーン」という料理がある。彩りよく盛るため「七彩魚生 チャッチョイユーサーン」ともいう。肝吸虫、有棘顎口虫などの寄生虫の問題があるため、衛生当局は生で食べないように呼びかけているが、相変わらず食べる地元民は多い。日本の広東料理店では寄生虫の問題がほとんどない鯛などを使って作られる事が多い。近年は香港の海鮮料理やヌーベルシノワの流行もあり、海水魚を使って出す店が中国でも増えており、また、伝統的な味付けにとらわれず、ドレッシング風のたれが使われる例も多くなった。余熱が加わり、白くなるが、生の魚の切り身である「魚生」を熱々の粥に入れ、「魚生粥」(ユーサーンチョッ)として食べることは、広州や香港でも行われている。
シンガポール、マレーシア
シンガポールやマレーシアの華人は、旧正月の、特に7日に「魚生 ユーサーン」を食べる習慣がある。七草粥ならぬ、「上七羹 ションチャッカーン」という7種の材料を加える正月のスープと、広東省南海、順徳周辺の「七彩魚生」が合わさったものとも言われる料理で、ソウギョやサケなどの刺身の上に、ショウガ、ダイコン、柑橘類の皮などの細切りや落花生、小麦粉を揚げて作るフレークを乗せ、甘酸っぱい調味料を加える。テーブルに出された後で、出席者が口々に「撈起 ローヘイ」、「發 ファーッ」などと唱えながら箸で混ぜ合ってから食べ、商売で儲かることを祈願するので、この食べ方は「撈魚生 ローユーサーン」と呼ばれている。企業や商店の新年会にも欠かせない料理でもある。
フィリピン
フィリピンでは「キニラウ」という生魚を用いる家庭料理がある。カジキマグロや鰆などの海水魚を生のまま切り身にして酢でしめ、塩、生姜、カラマンシー(シークヮーサー)、玉葱、キュウリ、ココナッツミルクなどでマリネする。漁師料理が一般化したもので、飲酒の際のおつまみという位置づけである。
ハワイ
ハワイには「ポケ(ポキ)」と呼ばれる刺身料理がある。マグロやカツオなど赤身の魚が主であるが、日本から移民の影響でタコもよく用いられる。
南米
特に太平洋岸のペルーやチリで一般的に食される「セビチェ」という料理が有名。地方によって若干調理法は異なるが、軽く湯引きした物や、マリネ状にしたもの、そのまま生のウニや白身魚のような魚介類を、ライムや塩、生姜などの薬味、チリソースなどと和えて食する。単品で食したり、また色んな魚介類を混ぜ食したりと調理法は様々である(実際、調味料を醤油に変えれば、正味日本の刺身になるものもある)元々は南米に連れてこられた奴隷たちが、主人の目を盗んで、ばれないように陰に隠れて盗んだ魚介類をそのままライムや塩などをかけてガブついて腹に収めていた奴隷料理が起源と言われており、それが発展して現在の一般的な家庭料理になった。元々新鮮でおいしい魚介類が豊富に捕れる地域の料理であるため、日本の刺身的な感覚で食せるため、当地に出張となった日本人サラリーマンなどに非常に重宝されている料理でもあり、南米のような場所でこういう生食ができることを意外に思う人も多い。
オランダ
オランダ人のニシン好きは有名で、オランダでは、ニシンをごく普通に生食する。三枚に下ろしたニシンにレモンをかけてそのまま口に入れたり、サンドイッチにしたりと様々な方法で食される。ニシンの生食を扱う屋台などもごく普通に町中にある。
[編集] 世界の料理に取り込まれる刺身
20世紀には、刺身は各国の料理にも取り入れられることとなった。
1980年代になると、日本料理は欧米などでも流行し、各国の料理にも影響を与えるようになった。イタリア料理と結びついた例では、イタリアでは牛肉を用いて作るカルパッチョをマグロなどの魚で作り、供される事が多くなっている。ヨーロッパでは冷凍の刺身も簡単に購入できるようになっている。
日本が統治を行った台湾では、地元の海産物を使った刺身を食べる習慣が台湾人にも徐々に広まった。台湾の俗語では「沙西米」(サシミ)と呼ばれており、日本食としての扱いであるが、夜店の屋台でも食べさせる例は多い。クロマグロやカジキが好まれている。
韓国では刺身のことを「フェ(膾)」という。もとは文字通り「なます」の意であったが、日本統治時代以前に日本風の刺身がプサン(釜山)に伝わり、日本統治時代以降は全土に広まって、日本風の刺身をも「フェ」というようになった。今では一般的な料理として通用しているが、コチュジャンやニンニクを添えたりするなどの独自の変化を遂げている。
中国遼寧省の大連周辺でも、日本の統治時代の影響で、ヒラメなどの海水魚の刺身や生ウニを食べる習慣が一部の中国人にも残された。
中国の中華料理店でも順徳魚生の様にたれや薬味と和えて食べる料理だけでなく、イセエビやサーモンなどを切り分けて、練りわさびをたっぷり入れた醤油につけて食べる事が一般的になっている。
[編集] 問題点など
イメージ
生の魚肉を食する習慣が無い地域では、「日本では魚などを生のままで食べている」という理解を取ることがある。これは「気持ち悪い」という悪いイメージであり、生で食べることが良く思われていないことに因る。「生」を「釣ったばかりで未調理の丸のままの魚」の意味にとられている場合もある。
日本国外での危険
生で食べると食中毒や寄生虫に感染する危険がある。もちろん伝統的に食されているものは、そのような危険性が低いからこそ食べられ続けているのである。しかし、刺身に慣れた日本人が他国で刺身を求め、地元の料理人が伝統にない材料を刺身として提供し、そのような危険が生じる場合がある。顎口虫(がっこうちゅう)などはその例である。
生もの
鮮度の悪い魚、不衛生な調理では、食中毒を発生させる。
慣れ(?)
生の魚肉に体が慣れていない一部の人が刺身を食べることによって、腹を下すなどの変調を起こすことがある。
酸素剤と伴に封入され、酸化を防ぐ工夫が施されている。
購入時の目安として、背側が盛り上がりくの字に曲がっているものが鮮度のよい魚を加工したものである。逆に腹側が盛り上がるようなくの字になって腹が割れているものは、加工時の鮮度が悪かったもので、出汁をとる際に生臭味が強くでる。色合いは青みがかった銀白色が脂肪の酸化していない上質なもので、赤茶色になっているのは脂肪が酸化した粗悪な製品である。ただし、よほど酸化が進まないかぎり変色しないので、色で酸化の度合いを見極める事は専門家でも困難といわれている。
水出し法と煮出し法があり、水出しの方が雑味の少ない良質の出汁が取れる。頭と腹わたからは苦味や雑味が出るので下拵えとして取り除くと良いとされるが、水出しの場合は頭と腹わたから灰汁が出にくいため、それらから出る旨みを利用するために取り除かない方法もある。出汁が出やすいように、中骨に沿って2枚下ろしのように指で二つに割る。ただし、一般家庭で味噌汁等に使う場合には特別な下拵えをせずにそのまま使う場合も多い。なお、出汁を抽出した後に焼け火箸を入れると生臭み逆援助交際の元になっている成分が揮発し上品な出汁になるといわれている。出汁をとった後の煮干は出し殻として取り出すが、家庭料理ではそのまま汁の実として食べる場合もある。
水出し法 : 1000ml程度の水に50gほどの煮干を入れて一晩(10時間程度)出汁を抽出する。煮干を取り出した後に出汁を加熱して用いる。
煮出し法 : 1000ml程度の水に30gほどの煮干を入れて10分程度煮出す。
折衷法(最も一般的な方法) : 1000ml程度の水に30gほどの煮干を入れて30分から一晩程度出汁を浸出し、煮干を取り出さずに10分程度煮出す。 現代人のカルシウム不足を補うべき、「食べ(られ)る煮干」として発売される商品が増えている。そのように明記されないものであっても、一般にそのまま食べることができる。また、アーモンドなどのナッツ類と一緒に小袋にパッケージされた商品も、茶請けや酒のつまみとして長年にわたって日本人には愛好されている。カタクチイワシ(片口鰯) Engraulis j逆援助交際aponica は、ニシン目・カタクチイワシ科に分類される魚の一種。いわゆるイワシの一種で、人類の利用のみならず食物連鎖の上でも重要な魚である。最近、学名がE. japonicusと表記されることがあるが、男性名詞を修飾する際に用いるべきjaponicusを、女性名詞である属名Engraulisに対して用いるのは誤りである。成魚の全長は10-20cmほど。体色は背中側が青灰色で、腹側が銀白色をしている。鱗は円形をした「円鱗」(えんりん)だが剥がれやすく、漁獲された際に鱗が脱落してしまうことも多い。断面は背中側がやや膨らんだ卵形をしている。
マイワシ、ウルメイワシと同じくイワシの一種だが、カタクチイワシは目が頭部の前方に寄っていて、口が頭部の下面にあり、目の後ろまで大きく開くことが特徴である。和名も「口が頭の片側に寄っている」ことに由来する。また、他の2種よりも体が前後に細長い。分類上でも、マイワシとウルメイワシはニシン科(Clupeidae)だが、カタクチイワシはカタクチイワシ科(Engraulidae)である。
北海道から南シナ海までの西太平洋沿岸に分布する。内湾から沖合いまで、沿岸域の海面近くに大きな群れを作る。プランクトン食性で、泳ぎながら口を大きく開けて植物プランクトンや動物プランクトンを海水ごと吸い込み、鰓の鰓耙(さいは)でプランクトンを濾過摂食する。
一方、敵はカモメやカツオドリなどの海鳥、サメやカツオなどの肉食魚、クジラやイルカなどの海生哺乳類、イカ、人間など非常に多岐にわたり、人類の利用のみならず食物連鎖の上で逆援助交際も重要な生物である。カタクチイワシは天敵から身を守るために密集隊形を作り、群れの構成員全てが同調して同じ向きに泳いで敵の攻撃をかわす。これは他の小魚にも共通する防衛策である。対する敵はイワシの群れに突進を繰り返して群れを散らし、はぐれた個体を襲う戦法を取る。
産卵期はほぼ1年中だが、春と秋に産卵するものが多い。卵は楕円形の分離浮性卵で、1粒ずつがバラバラに水中を漂いながら発生する。孵化した稚魚は急速に成長し、1年経たずに繁殖ができるようになる。寿命は2年-3年ほどである。
[編集] 利用
カタクチイワシは日本で最も漁獲量の多い魚で、日本各地で巻き網や地引き網などで漁獲される。また、「シラス」は主にカタクチイワシの仔魚で、これも食用に多く漁獲されている。
鮮度の良いものは刺身など生で食べることもできるが、傷みが早く入手が限られる。鰯の中でも新鮮なカタクチイワシの刺身は、最も美味しいと言われている。ただし季節と漁場によってはアニサキスの寄生が見られ、注意を要する。そのため生食に際してはよく噛んで食べる逆援助交際事が肝要である。最も多い利用法は煮干し等の干物だが、良い干物の決め手もやはり鮮度で、加工作業は時間との戦いとなる。カタクチイワシが水揚げされると港や加工場はにわかに忙しくなる。
おもな利用法には以下のようなものがある。
畳鰯(たたみいわし) - 稚魚を板海苔状にまとめ干物にしたもの。
白子干し(しらすぼし) - 稚魚を塩茹でし干したもの。カルシウムを含む食品の代名詞でもある。やわらかいものから乾燥度合いにより「しらすちりめん」「太白ちりめん」「上乾ちりめん」に区別される。やや個体の大きいものは「かえりちりめん」と呼ばれる。
目刺し(めざし) - 立て塩をした後、数匹ずつ竹串に刺して乾燥させた干物。流通段階では竹串は外されていることが多い。乾燥度合いの違いにより「若干し」「丸干し」に分けられる。
煮干し(にぼし) - 茹でて乾燥させたもの。主に出汁をとるために利用される。
田作り(たづくり) - ゴマメ(小型のカタクチイワシを素干ししたもの)を砂糖と醤油で煮絡めたもの。御節料理の祝い肴として知られる。
アンチョビ - 三枚に下ろして塩漬けした後、植物油に漬け込んだもの。
ごま漬け - 千葉県九十九里地方の郷土料理。
調味料 - 魚醤またはたん白自己消化物と呼ばれる発酵調味料原料として用いられる。
食用以外にもカツオなど肉食魚の釣り餌、肥料などに用いられる。
[編集] 別名
日本では古くから食用に供されてきたため、地方ごとに様々な別名をもつ。ヒシコイワシ、シコ、シコイワシ、田作り(タヅクリ)、五万米(ゴマメ)、背黒鰯(セグロイワシ)、狼鰯(オオカミイワシ)、脹眼(ハンガン)、金山(カナヤマ)、丸(マル)、ヒラ逆援助交際レ、泥目(ドロメ)、ドロイワシ、ママゴ、エタレ、クロタレ、シラス、タレクチ、チリメン、タレ、ホオタレ、ホホタレ、ホウタレ、ブト、コシナガ、カエリ、カクハリなど、多種多様な呼び名がある。
カタクチイワシの近縁種 Engraulis ringens
[編集] 近縁種
カタクチイワシ属(Engraulis 属)は世界各地の熱帯・温帯の海から7種類ほどが知られ、どれも重要な漁業資源となっている。
逆援助交際E. australis (White, 1790)
E. anchoita Hubbs & Marini, 1935
E. encrasicolus (Linnaeus, 1758) - 東大西洋と西インド洋
E. eurystole (Swain & Meek, 1885)
E. japonica (Houttuyn, 1782) - カタクチイワシ
E. ringens Jenyns, 1842 - 太平洋の南アメリカ沿岸
E. mordax Girard, 1854
アンチョビ(Anchovy)はカタクチイワシ属、さらに広義にはカタクチイワシ科の各種を指す総称として用いられるが、日本で「アンチョビ」と呼んだ場合は魚よりも加工品を指すことが多い。逆援助交際
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出典: フリー百科事逆援助交際典『ウィキペディア(Wikipedia)』移動: ナビゲーション, 検索かけうどんといなり寿司(観音寺市)讃岐うどん(さぬきうどん)は、近年名づけられた香川県(旧讃岐国)特産のうどんの事である。
伝来時期などは明らかでないが、元禄時代(江戸前期)の屏風絵にうどん屋を認めることができる[1]。古くから小麦[2]、塩[3]、イリコ(煮干し、カタクチイワシ)[4]、醤油[4]といった讃岐うどんの原料が、この地域で容易に入手でき、かつ特産品でもあった。なお、「讃岐うどん」という特別な呼称ができたのはそれほど古くはなく、他県から香川県のうどんが名物と認知されだした1960年代頃と考えられている[5]。商品として製麺する讃岐うどんについては後述のような定義もあるが、香川県内のうどん店や家庭などで作られるうどんは一般にどれも讃岐うどんとされる[6]。
香川県内においてうどんは特に好まれて県民の生活の中で特異な位置を占めており、一人当たりの年間うどん消費量230玉は日本で1位となっている[7]。日本国内でのうどん総生産量を比較すると、2006年の時点で香川県は60,660トンであり、2位の埼玉県の19,827トンを大きく上回っている。また、ゆでうどん・生うどん・乾燥うどんの3種類すべてで生産量が1位となっている[8]。香川県民の多くは県外に出てもうどんへの拘りを隠さず、香川に帰ってうどんを食べることで帰郷を実感するほどである[9]逆援助交際。また、香川県のうどん店の客層は幅広い年齢にわたって分布しているのも特徴である[10]。
香川県では県全域にうどん店が分布し、生活に密着した食物・食習慣となっており[11]、「讃岐うどん通り」などと称されるような店鋪の特定集中区域はない。讃岐・香川に限らず、小麦粉の切り麺としてうどんは日本各地で発達したが、全国的にも讃岐うどんはブランドとして広く認知されており、各地のうどんを紹介する際に「第二の讃岐うどん」などの表現を用いることも多い[12][13]。香川県外では普通の店屋物のうどんでも讃岐・讃岐風を標榜するなど、讃岐うどんは広く認知されるようになっていった。なお香川では大晦日、年越し蕎麦よりも年越しうどんを食べる場合の方が多い。主に製麺所系のうどん店はこの日に限り玉売りしか行なわれない。うどんは弘法大師が唐から伝えたという言い伝えが遍路でお大師様(弘法大師)に親しむ香川県ではよく語られ、このエピソードは讃岐うどんに関するWEBページや県内のうどん屋の内装、広告などに頻繁に現れるが、明確な根拠はない[16]。なお、唐から伝えられたのは小麦粉の生地に餡などを包んだ「こんとん」と呼ばれる唐菓子で[17]、現在のうどんは素麺の元祖である「索餅」と、ほうとうの元祖である「餺飥(はくたく)」の技法をベースに形成されたと考えられている[18]。
現存する香川・讃岐におけるうどんの記録で最も古いものはうどん屋の営業に関する記述で、江戸時代前期に初めて現れた。これは江戸や大坂にうどん屋が出現し始めた頃に当たる[1]。寛永19年(1647年)の飢饉の際には江戸幕府によってうどんや素麺の禁令が全国に出されるなど、江戸時代にうどんは贅沢品とみなされていた。しかし、讃岐国の琴平は金光院の朱印地であるため高い自治権を有しており幕府の制約を受けにくく、また京都・江戸などと交流の深かったため、これらの都市から製法が伝わってきたとみられる[19]。このような事情に加え、少雨で日照時間が長い事から小麦の栽培に適しており、坂出などの塩田での製塩や小豆島、引田などでの醤油製造も発達していた事などから原料の確保が容易であり、元禄年間ごろから琴平周辺ではうどん作りが盛んになった。これは全国的に見て早い時期に属する[19]。当時のうどんは、他の地域と同様に茶店などで菓子と一緒に嗜好品として供されていた[19]。
江戸時代後期には金刀比羅宮への参拝客を相手にした旅籠が増え、その1階がうどん屋となる例が多かった。店頭に茹で釜が置かれ、砥部焼の鉢にうどんを盛り、ショウガやネギとだし(麺つゆ)を入れた猪口につけて食べる形式が一般的となった[20]。なお、これは現代でいう湯だめという食べ方にあたる。また参拝客が船で到着する丸亀や多度津にもうどん屋が作られ、弘化4年(1847年)の名所図会などに記録が残っている。農民にとっては引き続きうどんは贅沢品とされ、田植えや法事の際に振舞われる特別な存在だった[21]。
[編集] 近代
明治時代には夜なきうどんの行商人が高松市内に増え、1887年頃には天秤棒の両端に縦長の箱を下げ、頂部に石油ランプをともして鈴を鳴らしながら売り歩いていた。箱の下部にはどんぶりや湯沸かしを入れ、総重量は60-70kgだったといわれる[20]。20世紀に入るとこれらの業者は全て車輪付き屋台を用いるようになり、その両脇に飾り格子をはめて行燈を吊るしていた。うどんは玉の上から花がつおとだしをかけたぶっかけで、炭火で茹でるため人気があったという[20]。なお、夜なきの行商人はは生麺の卸売業者(玉卸し屋)と契約して道具を借り、営業を行なっていた。当時は5軒の玉卸し屋があったが、大正時代にはのれん分けの関係をもとに3系統に分かれ、終戦までこれが続いていた[22]。昭和初期には飾りガラスなどを凝らした屋台が並び、夜の高松の風物詩と呼ばれた[23]。
また、農村部では明治時代に水車の動力を利用した製粉業が盛んになり、その粉を仕入れる小規模な製麺業者も増加した[24]。1930年代に入ると日中戦争などで若者が減ったこともあって機械式の製麺が全国に広がったが、香川県では手打ちの製麺所が残り、配給の小麦が持ち込まれた逆援助交際[25]。この頃からエンジン式の製粉機が普及し始め、20世紀後半には完全に水車に取って代わっている。なお、20世紀前半の香川県では年中行事や冠婚葬祭でもうどん料理が食べられ[26]、「うどんが打てぬようでは嫁にも行けない」という言葉まであったという[17]。
[編集] 現代
第二次世界大戦直後の小麦粉が十分に手に入らない中、高松市などでは代用品としてドングリや芋の粉を用い、足りない粘り気はワラビの粉やところてんでつなぐなどしてうどんが作られていた。小麦粉の供給は、1949年ごろから闇市を中心に回復してきた[22]。郷土料理として讃岐うどんは主に家庭で消費され、また外食店でも一部の喫茶店や中華料理店を含む多くの食堂にうどんは置かれた。1960年代にはその数3,000から3,500と推定される[26]。当時はまだうどんの「専門店」と呼べるような店は高松市内でもほとんど存在していなかったが、1960年代半ばから香川県独自のセルフサービス方式のうどん専門店が登場し、1970年前後からはメニュー数種を揃えたうどん専門店も増え始め、現在に至る香川県におけるうどん店の状況が形作られていった[27](香川県におけるうどん店の業態に関しては後述する)。うどんを扱う飲食店の総数は逆に減少し[26]、うどん店の専門化が進んでいった。
このような中で1963年2月に高松駅構内に立ち食いうどん店が開店した。当時、立ち食いソバ屋は全国の多くの駅にあったがうどんは前例がなく、宇高連絡船などで四国を訪れた人々に強い印象を与えた[28]。間もなく高松駅構内の2号店や宇高連絡船のデッキにも立ち食いうどん店が設置され、テレビなどで「食べる民芸品」として県内で味の評価の高い店が紹介された。また、この頃にポリエチレンなどの包装が始まって保存期間が長くなり、土産品としての需要も増加している[22]。なお、1970年代には手打ち式の讃岐うどんが香川の名物だと認知している人は県外ではまだ多くなく、うどんは旅のついでに偶然食べる存在だった[29]。しかし、一方で1970年の大阪万博では讃岐うどんが全国に紹介され、この頃から全国的な知名度が大きく上昇していった[30]。この万博では和食チェーンの京樽の運営するレストランのメニューの1つとして讃岐うどんが出食され、手打ちの過程をガラス越しに実演して毎日6,000食を売り切ったという[31]。
1980年代末頃より、香川県のタウン情報誌で連載されたうどん店の紹介企画『ゲリラうどん通ごっこ』が評判となり、まず県内からうどん屋探訪が盛んになった。このブーム以降は、それまで重視されていた味の要素に加え、個性的な店への訪問自体を楽しむ客が大きく増えたのが特徴とされる[32]。 これを受けて1992年には武田鉄矢がテレビ東京の、1993年には吉村明宏が日本テレビの、それぞれグルメ番組で地元の人々とうどん屋を巡ったのを皮切りに、毎年のように在京各テレビ局の番組で讃岐うどんやその特徴的な店舗が取り上げられるようになる。一方、地元の山陽放送も穴場うどん番組を1994年から定期的に放映するなど、新たな切り口での讃岐うどんのメディアへの露出が増加し、2000年代に入るとマスコミによる紹介はさらに広範なメディアに拡大していった[33]。このような背景もあり、1990年代後半からは県外でも徐々に讃岐うどん屋巡りを目的に香川へ出向くという観光スタイルが広がっていった[33]。また、1990年ごろには初の冷凍うどんが香川県で開発されている[34]。
セルフサービスのうどん店は香川県外ではあまり見られなかったが、2002年にこのセルフ方式のうどん店が首都圏に開店したのを皮切りに、日本各地で同様のセルフうどん店が次々とオープンした。この出店ラッシュは2005年頃まで続いた。このような一連の全国的なマスコミへの露出や観光客の増加、讃岐うどん店の全国への進出は「(第4次)讃岐うどんブーム」とも呼ばれた(後述)。2004年の香川県の調査によれば、県を訪れた観光客の40%以上が観光の動機に「讃岐うどんを食べること」を挙げ、観光の印象として「讃岐うどんがおいしかったこと」が最多の回答となっている[35]。結果として、他県ではご当地ラーメンとして起きたものと類似した、またはそれ以上のブームが香川県ではうどんで発生して、現在では香川県の経済面にさえ影響を及ぼすほどの一大観光資源となっている。2006年8月には讃岐うどんを題材にした映画・UDONも公開されている。
しかし、他方では一時期の熱狂的といえるブームは一段落しており、新規開店も減った現在では淘汰も始まり、また、事実上の過当競争状態の地域も見られている。そうした中で、セルフうどん店は廉価・手軽なファストフードの一つとしてある程度定着し、香川県内はもとより遠くは首都圏などにおいても、ショッピング街やフードコート、主要な街道沿いなどで見かけることが珍しくなくなっている。
[編集] 讃岐うどんブーム
香川県農政水産部の見解[36]によれば、20世紀後半から21世紀初頭にかけて下記のように4回の讃岐うどんブームが起きている。なお、これは必ずしも統一された見解ではなく、第3次と第4次を連続したブームと捉える意見などもある[33]。いずれも終息時期は判定が困難で特定されていないため、発生したとされる年を示す。
第1次:1969年
宇高連絡船デッキ上の立ち食いうどん店の独特の雰囲気や、大阪万博への出店や金子正則知事によるトップセールスが評価された。また、香川県はPRのために当時キャラバン隊を組織していた。
第2次:1987年
瀬戸大橋の開通を受けて四国全体の観光客が増加し、讃岐うどん店への来店客も増加した。一方で、バブル景気の時期であった事などから一部の店が値段を高騰させて問題が生じた[37]。また、冷凍うどんが商品化されたことで、全国のスーパーマーケットなどで讃岐うどんが広く販売されるようになった。
第3次:1995年
『恐るべきさぬきうどん』などの影響による香川県内でうどん店を巡る客の増加や、それを受けた1990年代前半のマスコミへの露出により、讃岐うどんを目的とする観光客が急激に増加していった。
第4次:2002年
首都圏など香川県外へのセルフ式うどん店の出店増加により、讃岐うどんを認知し、実際に食べる機会が日本全国で増えた。
[編集] メニューなどの用語
[編集] 用語
讃岐うどんに関する用語を説明する。一般的なうどんに関する用語についてはうどんを参照。
だし
調味されたうどんの汁。一般的に「つゆ」「うどんつゆ」と呼ばれているものであるが、香川ではだしと呼ぶ。
かやく
意味は「具の入ったうどん」のことであるが、蒲鉾などが少し入っただけのシンプルなものから、いくつかの具を盛り合わせたものまで様々である。一般店では一番シンプルなメニューをかけではなくかやくとしているところがある。
[編集] メニュー
逆援助交際現在、讃岐うどんは麺そのものや業態をもって特色とし、完成した料理メニューとしては讃岐うどんに統一的なものはないと言える。メニューは非常に多岐に渡り、変り種のうどんも非常に多い[38]。かやくやぶっかけなどは、同じ名前がついていながら異なるうどん料理であることも珍しくない。
かけ
うすめのだし汁をかけ、刻みねぎや天かすを載せたうどん。薄切りの板かまぼこを加える場合もある。シンプルで値段も安く、20世紀後半まで最も主流の食べ方だった[39]。
生醤油(きじょうゆ)
うどん玉に醤油を少しかけただけのうどん。しょうゆうどんとも呼ばれる。醤油は火入れしないいわゆる生醤油とは限らない。調味された醤油が使逆援助交際われたり、薬味や具が入ることもある。麺そのものの味が味わえ、家庭でも手軽にできるため、店では「かけ」家庭では「生醤油」が讃岐うどんの定番という人も多い(麺の良し悪しに左右されるため、「上物の玉が手に入ったときは生醤油」という声をよく聞く)。なお「しょうゆうどん」は商標登録されているが、多くの店で一般的に使われている。
釜揚げ
ゆでて水洗いする前の熱いうどん。麺の状態のことを指すこともあれば、完成した料理のことを指すこともある。料理としての釜揚げうどんは当該項目を参照。
ぶっかけ
濃い目のだし(つけだしに近いぶっかけだし)が、少なめにかけられたうどん。ぶっかけうどんは、具のあまり乗っていないシンプルなものから豪華なものまで、店によって様々であり、共通点は「濃い目のだしが少なめにかけられている」という点である[40]。発祥は、岡山県倉敷市のうどん店「ふるいち」だが、香川県に伝わり、讃岐うどんの定番メニューとなった。
湯だめ
水洗いされたうどんを再度温めて湯に浸かった状態で供され、だしにつけて食べるうどん。釜揚げうどんと対比されて使われる。最も古くからの食べ方で、夏期は冷水に入れて冷やしうどんとした[19]。待たされることもある釜揚げ系統の、急ぎの客向けの代用メニューともされ、釜玉に対する「あつ玉」も同じ。もちもち感が少し損なわれる。
しっぽく
肉や根菜類を煮た甘めの汁をかけたうどん。家庭では里芋、ニンジン、大根、油揚げなど、店では天ぷらやちくわなどが具に入る[19]。秋から冬を中心に食べられる、東讃地方の郷土料理。
釜玉(かまたま)
湯を切った釜揚げのうどん玉、卵、薬味、だしまたは醤油を混ぜて作られるうどん料理。うどん玉が冷めないうちに卵をかき混ぜて半熟にし、少量ずつ薬味と出汁を自分の好みに合わせ、好みに応じて揚げ玉も入れる。綾川町の山越うどんが発祥といわれている。サッカー四国社会人リーグのカマタマーレ讃岐の名称の由来にもなっている。
本節では、ある程度認知されている讃岐うどんの食べ方や業態[41]について説明する。その他一般のうどん店についてはうどんの当該項目を参照。
[編集] 一般店
完成した料理を店員が上げ下げしてくれる、全国で一般的な飲食店の形態のうどん専門店。香川県内においても最も数が多い[42]。メニューには各種の具入りうどんや副食品の類が並んでおり、量や薬味の加減を店員に頼める点も香川県内外で共通している。
香川県内の一般店で特徴的なのは、おにぎり、おでんなどの作り置きのできる副食品は、一般店であっても大抵セルフサービスであるという点である。客は店に入ってすぐにそれらを取ってきて、食べながらうどんが出てくるのを待つ[43]。なお、一般店のメニューは県外の一般的なうどん店と大きく異なることはない。一般的なうどんメニューについてはうどんの当該項目を参照。
[編集] セルフサービス店
料理の受け取り、食後の食器の返却を客自ら行う、セルフサービスの業態をとるうどん専門店。セルフうどん店では、うどんとだしと具(トッピング)を別々に選ぶ店が多い。
具はさまざまな種類の天ぷらを用意している店が多い。具を必ずしもうどんに乗せて食べる人ばかりではなく、自由な食べ方で楽しまれている。
香川県内のセルフうどん店は、そのほかにも客の側で様々なことを行うようになっている店が少なくない。
蒸篭に並んだうどん玉を客が好みの量を玉単位で丼に取り分ける。氷水で冷やしたものや、釜揚げを頼める店もある。
湯と「てぼ」(鉄砲ざる)または「ぬくめいかき」(竹製の道具)が用意されていて、自分で好みの温度まで温める。冷たいうどんそのままも可能。
置かれている具や薬味を自分で取って入れる。
タンクの蛇口を捻ってだし(つゆ)を注ぐ。だしは温冷の双方が選べる。冷たいうどんに熱いだしをかけたり、その逆なども行われている。また、かけだしのほかにぶっかけだし、つけだしが用意されていたり、醤油、調味醤油などを少しかけるだけで賞味されることもある。
上記は一例であるが店と客の役割分担が店によって違うこともままあり、香川県民でさえはじめて入るセルフ店ではまごつくことがあるため、メニューではなく手順が掲示されている場合も多い[44]。
長らくこのようなセルフうどん店は香川県独特の業態だったが、2002年頃よりはなまるうどんのようなセルフ式うどんのチェーン店が東京都など県外へ出店し、短期間に急増した[45]。香川県で標準的なセルフうどん店よりも客自ら行なう手順は少なくなっており、セルフうどん店がはじめての客にも入りやすい工夫がされている。
[編集] 製麺所
製麺所に什器を設え食事ができるようにしたうどん店であり、基本的にセルフサービスである。食べ方などは基本的にセルフうどん店と同様であるが、選べるものは極端に少なく、メニューなども用意されていない場合が多い。
看板や暖簾、什器などに気を使わず、とても客商売をしているようには思えない佇まいの店が少なくなく[46]、このような店が紹介された当初、他県民には大変ユニークに映り、また香川県民でも知らない人は本当に知らなかったため、県内外で注目された。
[編集] 小売
外食としてだけではなく家庭でもうどんはよく消費される。外食店が今のように増加する前は、うどんは買ってくるか手作りするのが主流であった[27]。
玉売り
調理済みのうどん玉の形で販売されるもの。家庭では湯通しして(湯掻いて)利用される。製麺所などで蒸篭から取り分け販売されるほかに、袋詰めにしてスーパーマーケットなどでも販売される。
冷凍うどん
工場生産の冷凍食品。茹でた直後に冷凍するため水の分散状態が保たれ、コシが強いのが特徴[47]。指定の時間茹でて水洗いしてから利用するものが多い。保存が利きまた近年改良が進んで味の評価が高まってきたため、全国的に家庭での利用の主流になりつつある。加ト吉など香川県内のメーカーのほか、各地の大手食品メーカーも手がけている。
生、半生
茹でる前の、生地を伸ばして切った状態で販売されるもの。水分量を調節するなどして乾麺に近い状態にし、常温である程度の保存が可能なものもあり、半生と呼ばれる。指定の時間茹でて水洗いしてから利用する。土産物としてよく販売されている。
乾麺
茹でる前の生地を伸ばした状態で、天日干しに近い環境で乾燥させて販売されるもの[29]。保存に優れ、全国のスーパーマーケットで販売されている。
讃岐うどんはよく「コシが強い」と表現される。また大阪のモチモチしたうどんに比して讃岐うどんはシコシコしている、とも言われる。しかしコシという言葉はそれを使う人によって、硬さや弾力、または粘度であったりと、言葉の定義が必ずしも共有されていない。讃岐うどんの味の評価は、この麺のコシによってなされる部分が大きい。讃岐うどんにおいては、店やメニューの紹介ではだしや具の味、佇まいなどが取りあげられても、麺の評価がそれ以外の要素の評価よりも上位に位置する場合もある。一方、かつては製麺所から麺を仕入れる店が多かったため、むしろだしが店ごとの個性として重視されていた[48]。
うどんのコシについての学術的研究[49]では、コシは「咀嚼中の総合的な食感」というテクスチャーをもって表現されている。調査によれば、弾性率と粘性率がそれぞれ1×105Pa、1.5×108Pa·s以下と軟らかく、かつ破断強度が大きいうどんが、コシがあって美味しいと評価されている[50]。すなわち、噛み切るのに力が必要だが軟らかいのがコシのあるうどんであり、単純に硬いだけではコシがあるとはみなされない。
コシのもうひとつの特徴は、それが「時間とともに急速に失われていく」ということである。これはうどんの破断強度が2時間で約2/3まで低下することからもわかる[51]。讃岐うどんのコシ(ないし美味しさ)は、茹でて水で締めたその瞬間に最大となって分単位で失われる。これは時間がたつとともに水分分布が均一化して全体が糊化(アルファ化)し、噛み始めが硬くなる一方で噛み切るのに必要な力は減少し、コシが無くなっていくためである[51]。このため、店で食べる讃岐うどんの当たり外れは店に入るタイミングが全て、とも評される[52]。讃岐うどんには時間とともに出現するような類の美味さは一般に存在せず、「つゆとなじませるためにしばらく置いておく」といったことが普通に行われる大阪や京都のうどんとの大きな違いとなっている。
[編集] 手打ち式製法
上記のようなコシが生まれる原因として、讃岐うどん特有の手打ち式製法があげられる。これには一般的な機械式の製麺と比べて
十分な混捏
圧延が多方向
生地の熟成
といった特徴がある[17]。この中で1と2は生地の中のグルテンの分布を均一にする効果があり、3には生地からの脱気や遊離脂質の減少と結合脂質の増加をうながす効果がある。3には1によって生地に生じた応力を緩和し、軟らかく伸びるようにする効用もある。
また、食塩水の添加も重要な要素となっている。加える水の量を増やすことによってグルテンの均一性を増す事ができるが、多すぎると生地の粘弾性が増して硬くなる[53]。また食塩を加えることで生地の伸びがよくなるが、多すぎると逆に低下する。このため食塩水の量と濃度を調節することが重要であり、古くから「土三寒六常五杯」(土用など夏期は1杯の塩に対して水を3杯加え、寒中の冬期は水を6杯にする[54][55])という言葉が目安にされてきた。 これらの要素が組み合わさって讃岐うどんのコシは得られている。
なお、生地はかつてうどんゴザをかぶせた上から裸足で踏んでいたが、衛生面から20世紀後半にこの方法が問題となった。このため効率化を兼ねて、製塩業に用いていた藁の加工機をベースに混捏用の機械が1965年に開発された。1968年に香川県が製麺業の免許の交付・更新の際にこの機械の採用を義務付けたため普及が進み、1970年には北海道など全国各地やソウル、アラスカなど海外にも出荷されている[56]。
[編集] 小麦粉
香川県産のうどんの原料となる小麦粉は、かつて稲の裏作として盛んに栽培されていた県内産の小麦(地粉)が使われていた。最盛期の栽培面積は10,000ヘクタール以上にも及んだが、高度経済成長期に急減して1973年には326ヘクタールとなった。その後は栽培の振興施策などもあって1987年に4,130ヘクタールまで回復したが、1997年には475ヘクタールまで再び減少している[57]。
1970年代には粘りの強いカナダ産とさらさらしたアメリカ産の小麦をブレンドして主に使っていたが、現在は多くがオーストラリア産であり、日本のうどん用に最適化して開発された『Australian Standard White』(略称:ASW)という麺用中力粉が用いられることが多い。県産のうどん用小麦としてはもともと農林26号など[58]が使われ、20世紀末にはASWに対抗するため県が『さぬきの夢2000』を開発したが、生産量の少なさ、製麺の難しさ、2004年に起こったJA香川県による不当表示問題[59][60]などによるブランドイメージの低迷、などにより普及はあまり進まなかった。
一方でオーストラリア産の小麦とさぬきの夢2000をブレンドした讃岐うどん用の小麦粉なども開発され、これを使用した半生うどん「幽玄 premium」がモンドセレクションの金賞を受賞している[61][62]。
また「さぬきの夢2000こだわり店」の認証も行われており、さぬきの夢2000を100%使用した店名も明示されている[63]。これは、「めん」「だし」「サービス」の3つを厳しく審査するものである。
詳細はさぬきの夢2000を参照
[編集] だし
麺の食感という讃岐うどん共通の価値観を除けば、味付けなどは非常にバリエーションに富んでいるが、讃岐うどんを特徴付けるものとしてはほかに、イリコ(煮干し)のだしが挙げられる。イリコの出汁は一般的な日本料理では煮物や味噌汁などに用いられるが、うどんのつゆには通常用いられない。これはイリコが青魚独特の臭みを持つため、二番出汁相当の使われ方をするものだからである。うどんつゆのような「表の味」には鰹節・昆布によって調製される一番出汁が用いられることが多い。
近隣の伊吹島がイリコの名産地である事などからイリコを使った濃厚なだしが昔からよく使われ、讃岐うどんの主張の強い麺と豊富な食べ方のバリエーションを下支えしてきた。繊細な一番出汁では、讃岐うどんの「強さ」に負けかねない事もあり、讃岐うどんでは地元のイリコと北海道産の昆布を組み合わせてだしを作ってきた。煮干しの臭みを取るためには、焼いた鉄の棒をだしに入れる方法などが採られ、最後に加える醤油にも生臭さを消す効用がある[48]。なお、つけ汁には濃口醤油、かけ汁には薄口醤油を使い、それぞれの分量を変えるなどの工夫がされている[64]。
種物や麺つゆをたっぷりつけることさえ無粋とされうる蕎麦とは対照的に、様々な天ぷらが好んで乗せられ、時にはコロッケまで崩し入れられるような讃岐うどん文化には、イリコだしが欠かせない。また、香川ではうま味調味料が忌憚なく使われる傾向にあり、他の地域では極めて珍しいことだが、店の食卓調味料として味の素が置かれていることも多い。出来立てのうどんに味の素をパッと振って醤油をチャッとかけてすすり込むのはポピュラーな食べ方である。まただし醤油などもよく使われている。どこまでも強い麺がだしや味付けを繊弱なものにしなかった。これも讃岐うどん文化の一つである。
[編集] 薬味
薬味にショウガやネギが多用されるのも讃岐うどんの特徴であるが、これもイリコだしと相性がよい。なお、一番出汁に香りの強い香辛料を加えると風味が損なわれるが、イリコだしとショウガの組み合わせはかえって臭みが消えて爽やかな風味がうどんを引き立てる。
このほかにも唐辛子やからし、ゴマ、花がつおが従来から用いられてきた[48]。近年では食品の地域性も薄れて入手性もよくなり、さらに多様な薬味が供されている。他県のうどんやそばと同様、七味唐辛子、山葵なども定番であり、イリコや様々なふしを混合した新たな味も次々生まれている。また讃岐うどんが県外に進出するとともに、かけだしにショウガも広まっている。
[編集] 讃岐うどんに関する統計
「香川県民は一人あたり年間○○玉のうどんを食し、日本一うどんを食べる」という表現はしばし使われるが、その数字は100玉程度から300玉を超えるようなものまで様々であり、根拠が必ずしもはっきりしない。これは「うどんの玉の数」という明確な統計がないためである。たとえば、総務省の家計調査[65]では、「うどん・そば」と一括りにされている。また、統計における数字を目分量であり店によって量が倍ほども違う「うどん玉」の数に換算することの問題もある。一方でこれは「うどん玉」という単位自体の問題であり、人口当たりのうどん生産量や消費量が日本国内で圧倒的に高い事は統計的に明らかになっている(#概要など)。
香川県のうどん屋の数については、毎年発行される讃岐うどん店を網羅したガイド本[66]では800軒前後が掲載されている。うどん屋またはうどんを生産していると思しき箇所として、県では1100軒程度(2005年度)を把握しているようである[67]。店舗は特に高松地域と中讃に集中しており、その中でも紹介頻度が高いのは高松市以西の綾川や土器川などの河川沿いの店が多く、良質な地下水を大量かつ安価に使用できる環境の影響が指摘されている[68]。同様に、東讃や島嶼でうどん店が少ないのは平野部が海岸砂州や後背湿地から形成されて地下水に恵まれないためともされる。
[編集] その他
さぬき市は2002年に合併によって誕生した比較的新しい市であるが、この地域はかつて大川郡[69]と呼ばれており、「さぬき」のつく特定地名はなかった。このひらがな地名が採用されたのには、旧国名よりも、ブームのさ中の「さぬき」というブランドに肖る意図が大きかったと考えられる。市名候補「さぬき」は住民アンケートでは「大川」「東讃」に次いで3位であった[70]。
うどん店は零細であるため排水規制がかからず、高濃度のデンプン質を多く含むうどんのゆで汁が浄化装置も通さず露店の水路に放水されていることが多く、香川県一般の飲食店などの中でも最悪の環境汚染[71]であり、環境汚染が懸念されている。讃岐うどんブームに伴い排出量が大幅に増加し苦情が寄せられる程に[72]なり、県では県下のうどん店に、うどん店排水処理対策マニュアル[73]などの配布を行ったが大きな改善が見られず、規制と共に罰則を想定した条例施行を目指している[72]。
丸亀高等技術学校では2003年より毎年、うどん職人を養成するさぬきうどん科(3ヶ月、職業訓練)を開講し、卒業生の県内外での新規開店や就職に実績を挙げている[74]。また、瀬戸内短期大学では、さぬきうどんインストラクター養成という特色のある教育が行なわれている。
テレビ朝日の2008年放送の番組[75]においては、
讃岐産のコムギのDNAは中央アジアのものと一致している
中央アジアのラグマンは中力粉を塩水でこね、気温により濃度を加減する事が讃岐うどんと共通している
切らずに伸ばして麺にして(讃岐うどんは包丁などで切る)茹で上がった後で水で締め、食感も讃岐うどんに近い事から、空海らの遣唐使が訪れていた長安を経てラグマンが持ち込まれ、讃岐うどんのルーツの一つとなった可能性が指摘された。
[編集] 脚注
^ a b 麺の博物館>うどん&そうめん探訪>歴史:祭礼図(香川県庁) 「金毘羅祭礼図」を参照。
^ 和漢三才図会(正保3年(1713年)) 小麦の項目に「讃州丸亀の産を上等とす」とある。
^ さぬき野2004秋 人物伝 久米栄左衛門通賢(香川県庁)
^ a b さぬき野2003春 特集 さぬきうどんの魅力を探る(香川県庁)
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^ 瀬戸大橋がまだなかった頃の宇高連絡船のデッキのうどん、高松駅旧駅舎のうどんは、帰郷者の多くにとって21世紀になっても思い出深い存在であり続けている(朝日新聞 1997年12月20日付 朝刊、社会面、p.29など)。
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^ 総務省統計局 家計調査
^ 『さぬきうどん全店制覇攻略本』
^ うどん店排水処理対策マニュアルの作成について(香川県庁)
^ 長谷川(2007 :21)
^ もっと遡れば寒川郡。そもそも大川郡という名前は大内郡(現在の東かがわ市に相当)と寒川郡の合成地名である。
^ さぬき市への助走 第5部(7)(四国新聞社)
^ 排水の水質(化学的酸素要求量)は、うどん店(製麵所を含)が1000mg/Lと最逆援助交際悪である(「讃岐うどんの茹ゆで汁も汚濁防止の対象 ‐ 小規模事業にも排水規制で川も海もきれいに」、財団法人河川情報センター『Portal』2007年3月号)
^ a b 2007年5月1日付 産経新聞「讃岐うどんに環境問題の逆風 ゆで汁の排水が問題化」
^ うどん店排水処理対策マニュアル(香川県庁)
^ 丸亀高等技術学校の「うどん科」入校式 (四国新聞社) 2007年7月21日取得
^ 2008年2月2日放送 うどん王子ナンチャンの讃岐うどんのルーツ 中国まで行っちゃいましたスペシャル!
[編集] 参考文献
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三木 英三ほか「茹めんのテクスチャー評価」『香川大学農学部学術報告』 第47巻2号、pp.133-142、1995年。
三宅 耕三ほか「さぬきうどんの持続的成長に関する研究 消費者行動逆援助交際調査から」『香川短期大学紀要』 第32巻、pp.1-9、2004年。
麺通団『恐るべきさぬきうどん — 麺地創造の旅』新潮社、2003年a、ISBN 978-4101059211。
—— 『恐るべきさぬきうどん — 麺地巡礼の旅』新潮社、2003年b、ISBN 978-4101059228。
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出典: フリー百科事逆援助交際典『ウィキペディア(Wikipedia)』移動: ナビゲーション, 検索かけうどんといなり寿司(観音寺市)讃岐うどん(さぬきうどん)は、近年名づけられた香川県(旧讃岐国)特産のうどんの事である。
伝来時期などは明らかでないが、元禄時代(江戸前期)の屏風絵にうどん屋を認めることができる[1]。古くから小麦[2]、塩[3]、イリコ(煮干し、カタクチイワシ)[4]、醤油[4]といった讃岐うどんの原料が、この地域で容易に入手でき、かつ特産品でもあった。なお、「讃岐うどん」という特別な呼称ができたのはそれほど古くはなく、他県から香川県のうどんが名物と認知されだした1960年代頃と考えられている[5]。商品として製麺する讃岐うどんについては後述のような定義もあるが、香川県内のうどん店や家庭などで作られるうどんは一般にどれも讃岐うどんとされる[6]。
香川県内においてうどんは特に好まれて県民の生活の中で特異な位置を占めており、一人当たりの年間うどん消費量230玉は日本で1位となっている[7]。日本国内でのうどん総生産量を比較すると、2006年の時点で香川県は60,660トンであり、2位の埼玉県の19,827トンを大きく上回っている。また、ゆでうどん・生うどん・乾燥うどんの3種類すべてで生産量が1位となっている[8]。香川県民の多くは県外に出てもうどんへの拘りを隠さず、香川に帰ってうどんを食べることで帰郷を実感するほどである[9]逆援助交際。また、香川県のうどん店の客層は幅広い年齢にわたって分布しているのも特徴である[10]。
香川県では県全域にうどん店が分布し、生活に密着した食物・食習慣となっており[11]、「讃岐うどん通り」などと称されるような店鋪の特定集中区域はない。讃岐・香川に限らず、小麦粉の切り麺としてうどんは日本各地で発達したが、全国的にも讃岐うどんはブランドとして広く認知されており、各地のうどんを紹介する際に「第二の讃岐うどん」などの表現を用いることも多い[12][13]。香川県外では普通の店屋物のうどんでも讃岐・讃岐風を標榜するなど、讃岐うどんは広く認知されるようになっていった。なお香川では大晦日、年越し蕎麦よりも年越しうどんを食べる場合の方が多い。主に製麺所系のうどん店はこの日に限り玉売りしか行なわれない。うどんは弘法大師が唐から伝えたという言い伝えが遍路でお大師様(弘法大師)に親しむ香川県ではよく語られ、このエピソードは讃岐うどんに関するWEBページや県内のうどん屋の内装、広告などに頻繁に現れるが、明確な根拠はない[16]。なお、唐から伝えられたのは小麦粉の生地に餡などを包んだ「こんとん」と呼ばれる唐菓子で[17]、現在のうどんは素麺の元祖である「索餅」と、ほうとうの元祖である「餺飥(はくたく)」の技法をベースに形成されたと考えられている[18]。
現存する香川・讃岐におけるうどんの記録で最も古いものはうどん屋の営業に関する記述で、江戸時代前期に初めて現れた。これは江戸や大坂にうどん屋が出現し始めた頃に当たる[1]。寛永19年(1647年)の飢饉の際には江戸幕府によってうどんや素麺の禁令が全国に出されるなど、江戸時代にうどんは贅沢品とみなされていた。しかし、讃岐国の琴平は金光院の朱印地であるため高い自治権を有しており幕府の制約を受けにくく、また京都・江戸などと交流の深かったため、これらの都市から製法が伝わってきたとみられる[19]。このような事情に加え、少雨で日照時間が長い事から小麦の栽培に適しており、坂出などの塩田での製塩や小豆島、引田などでの醤油製造も発達していた事などから原料の確保が容易であり、元禄年間ごろから琴平周辺ではうどん作りが盛んになった。これは全国的に見て早い時期に属する[19]。当時のうどんは、他の地域と同様に茶店などで菓子と一緒に嗜好品として供されていた[19]。
江戸時代後期には金刀比羅宮への参拝客を相手にした旅籠が増え、その1階がうどん屋となる例が多かった。店頭に茹で釜が置かれ、砥部焼の鉢にうどんを盛り、ショウガやネギとだし(麺つゆ)を入れた猪口につけて食べる形式が一般的となった[20]。なお、これは現代でいう湯だめという食べ方にあたる。また参拝客が船で到着する丸亀や多度津にもうどん屋が作られ、弘化4年(1847年)の名所図会などに記録が残っている。農民にとっては引き続きうどんは贅沢品とされ、田植えや法事の際に振舞われる特別な存在だった[21]。
[編集] 近代
明治時代には夜なきうどんの行商人が高松市内に増え、1887年頃には天秤棒の両端に縦長の箱を下げ、頂部に石油ランプをともして鈴を鳴らしながら売り歩いていた。箱の下部にはどんぶりや湯沸かしを入れ、総重量は60-70kgだったといわれる[20]。20世紀に入るとこれらの業者は全て車輪付き屋台を用いるようになり、その両脇に飾り格子をはめて行燈を吊るしていた。うどんは玉の上から花がつおとだしをかけたぶっかけで、炭火で茹でるため人気があったという[20]。なお、夜なきの行商人はは生麺の卸売業者(玉卸し屋)と契約して道具を借り、営業を行なっていた。当時は5軒の玉卸し屋があったが、大正時代にはのれん分けの関係をもとに3系統に分かれ、終戦までこれが続いていた[22]。昭和初期には飾りガラスなどを凝らした屋台が並び、夜の高松の風物詩と呼ばれた[23]。
また、農村部では明治時代に水車の動力を利用した製粉業が盛んになり、その粉を仕入れる小規模な製麺業者も増加した[24]。1930年代に入ると日中戦争などで若者が減ったこともあって機械式の製麺が全国に広がったが、香川県では手打ちの製麺所が残り、配給の小麦が持ち込まれた逆援助交際[25]。この頃からエンジン式の製粉機が普及し始め、20世紀後半には完全に水車に取って代わっている。なお、20世紀前半の香川県では年中行事や冠婚葬祭でもうどん料理が食べられ[26]、「うどんが打てぬようでは嫁にも行けない」という言葉まであったという[17]。
[編集] 現代
第二次世界大戦直後の小麦粉が十分に手に入らない中、高松市などでは代用品としてドングリや芋の粉を用い、足りない粘り気はワラビの粉やところてんでつなぐなどしてうどんが作られていた。小麦粉の供給は、1949年ごろから闇市を中心に回復してきた[22]。郷土料理として讃岐うどんは主に家庭で消費され、また外食店でも一部の喫茶店や中華料理店を含む多くの食堂にうどんは置かれた。1960年代にはその数3,000から3,500と推定される[26]。当時はまだうどんの「専門店」と呼べるような店は高松市内でもほとんど存在していなかったが、1960年代半ばから香川県独自のセルフサービス方式のうどん専門店が登場し、1970年前後からはメニュー数種を揃えたうどん専門店も増え始め、現在に至る香川県におけるうどん店の状況が形作られていった[27](香川県におけるうどん店の業態に関しては後述する)。うどんを扱う飲食店の総数は逆に減少し[26]、うどん店の専門化が進んでいった。
このような中で1963年2月に高松駅構内に立ち食いうどん店が開店した。当時、立ち食いソバ屋は全国の多くの駅にあったがうどんは前例がなく、宇高連絡船などで四国を訪れた人々に強い印象を与えた[28]。間もなく高松駅構内の2号店や宇高連絡船のデッキにも立ち食いうどん店が設置され、テレビなどで「食べる民芸品」として県内で味の評価の高い店が紹介された。また、この頃にポリエチレンなどの包装が始まって保存期間が長くなり、土産品としての需要も増加している[22]。なお、1970年代には手打ち式の讃岐うどんが香川の名物だと認知している人は県外ではまだ多くなく、うどんは旅のついでに偶然食べる存在だった[29]。しかし、一方で1970年の大阪万博では讃岐うどんが全国に紹介され、この頃から全国的な知名度が大きく上昇していった[30]。この万博では和食チェーンの京樽の運営するレストランのメニューの1つとして讃岐うどんが出食され、手打ちの過程をガラス越しに実演して毎日6,000食を売り切ったという[31]。
1980年代末頃より、香川県のタウン情報誌で連載されたうどん店の紹介企画『ゲリラうどん通ごっこ』が評判となり、まず県内からうどん屋探訪が盛んになった。このブーム以降は、それまで重視されていた味の要素に加え、個性的な店への訪問自体を楽しむ客が大きく増えたのが特徴とされる[32]。 これを受けて1992年には武田鉄矢がテレビ東京の、1993年には吉村明宏が日本テレビの、それぞれグルメ番組で地元の人々とうどん屋を巡ったのを皮切りに、毎年のように在京各テレビ局の番組で讃岐うどんやその特徴的な店舗が取り上げられるようになる。一方、地元の山陽放送も穴場うどん番組を1994年から定期的に放映するなど、新たな切り口での讃岐うどんのメディアへの露出が増加し、2000年代に入るとマスコミによる紹介はさらに広範なメディアに拡大していった[33]。このような背景もあり、1990年代後半からは県外でも徐々に讃岐うどん屋巡りを目的に香川へ出向くという観光スタイルが広がっていった[33]。また、1990年ごろには初の冷凍うどんが香川県で開発されている[34]。
セルフサービスのうどん店は香川県外ではあまり見られなかったが、2002年にこのセルフ方式のうどん店が首都圏に開店したのを皮切りに、日本各地で同様のセルフうどん店が次々とオープンした。この出店ラッシュは2005年頃まで続いた。このような一連の全国的なマスコミへの露出や観光客の増加、讃岐うどん店の全国への進出は「(第4次)讃岐うどんブーム」とも呼ばれた(後述)。2004年の香川県の調査によれば、県を訪れた観光客の40%以上が観光の動機に「讃岐うどんを食べること」を挙げ、観光の印象として「讃岐うどんがおいしかったこと」が最多の回答となっている[35]。結果として、他県ではご当地ラーメンとして起きたものと類似した、またはそれ以上のブームが香川県ではうどんで発生して、現在では香川県の経済面にさえ影響を及ぼすほどの一大観光資源となっている。2006年8月には讃岐うどんを題材にした映画・UDONも公開されている。
しかし、他方では一時期の熱狂的といえるブームは一段落しており、新規開店も減った現在では淘汰も始まり、また、事実上の過当競争状態の地域も見られている。そうした中で、セルフうどん店は廉価・手軽なファストフードの一つとしてある程度定着し、香川県内はもとより遠くは首都圏などにおいても、ショッピング街やフードコート、主要な街道沿いなどで見かけることが珍しくなくなっている。
[編集] 讃岐うどんブーム
香川県農政水産部の見解[36]によれば、20世紀後半から21世紀初頭にかけて下記のように4回の讃岐うどんブームが起きている。なお、これは必ずしも統一された見解ではなく、第3次と第4次を連続したブームと捉える意見などもある[33]。いずれも終息時期は判定が困難で特定されていないため、発生したとされる年を示す。
第1次:1969年
宇高連絡船デッキ上の立ち食いうどん店の独特の雰囲気や、大阪万博への出店や金子正則知事によるトップセールスが評価された。また、香川県はPRのために当時キャラバン隊を組織していた。
第2次:1987年
瀬戸大橋の開通を受けて四国全体の観光客が増加し、讃岐うどん店への来店客も増加した。一方で、バブル景気の時期であった事などから一部の店が値段を高騰させて問題が生じた[37]。また、冷凍うどんが商品化されたことで、全国のスーパーマーケットなどで讃岐うどんが広く販売されるようになった。
第3次:1995年
『恐るべきさぬきうどん』などの影響による香川県内でうどん店を巡る客の増加や、それを受けた1990年代前半のマスコミへの露出により、讃岐うどんを目的とする観光客が急激に増加していった。
第4次:2002年
首都圏など香川県外へのセルフ式うどん店の出店増加により、讃岐うどんを認知し、実際に食べる機会が日本全国で増えた。
[編集] メニューなどの用語
[編集] 用語
讃岐うどんに関する用語を説明する。一般的なうどんに関する用語についてはうどんを参照。
だし
調味されたうどんの汁。一般的に「つゆ」「うどんつゆ」と呼ばれているものであるが、香川ではだしと呼ぶ。
かやく
意味は「具の入ったうどん」のことであるが、蒲鉾などが少し入っただけのシンプルなものから、いくつかの具を盛り合わせたものまで様々である。一般店では一番シンプルなメニューをかけではなくかやくとしているところがある。
[編集] メニュー
逆援助交際現在、讃岐うどんは麺そのものや業態をもって特色とし、完成した料理メニューとしては讃岐うどんに統一的なものはないと言える。メニューは非常に多岐に渡り、変り種のうどんも非常に多い[38]。かやくやぶっかけなどは、同じ名前がついていながら異なるうどん料理であることも珍しくない。
かけ
うすめのだし汁をかけ、刻みねぎや天かすを載せたうどん。薄切りの板かまぼこを加える場合もある。シンプルで値段も安く、20世紀後半まで最も主流の食べ方だった[39]。
生醤油(きじょうゆ)
うどん玉に醤油を少しかけただけのうどん。しょうゆうどんとも呼ばれる。醤油は火入れしないいわゆる生醤油とは限らない。調味された醤油が使逆援助交際われたり、薬味や具が入ることもある。麺そのものの味が味わえ、家庭でも手軽にできるため、店では「かけ」家庭では「生醤油」が讃岐うどんの定番という人も多い(麺の良し悪しに左右されるため、「上物の玉が手に入ったときは生醤油」という声をよく聞く)。なお「しょうゆうどん」は商標登録されているが、多くの店で一般的に使われている。
釜揚げ
ゆでて水洗いする前の熱いうどん。麺の状態のことを指すこともあれば、完成した料理のことを指すこともある。料理としての釜揚げうどんは当該項目を参照。
ぶっかけ
濃い目のだし(つけだしに近いぶっかけだし)が、少なめにかけられたうどん。ぶっかけうどんは、具のあまり乗っていないシンプルなものから豪華なものまで、店によって様々であり、共通点は「濃い目のだしが少なめにかけられている」という点である[40]。発祥は、岡山県倉敷市のうどん店「ふるいち」だが、香川県に伝わり、讃岐うどんの定番メニューとなった。
湯だめ
水洗いされたうどんを再度温めて湯に浸かった状態で供され、だしにつけて食べるうどん。釜揚げうどんと対比されて使われる。最も古くからの食べ方で、夏期は冷水に入れて冷やしうどんとした[19]。待たされることもある釜揚げ系統の、急ぎの客向けの代用メニューともされ、釜玉に対する「あつ玉」も同じ。もちもち感が少し損なわれる。
しっぽく
肉や根菜類を煮た甘めの汁をかけたうどん。家庭では里芋、ニンジン、大根、油揚げなど、店では天ぷらやちくわなどが具に入る[19]。秋から冬を中心に食べられる、東讃地方の郷土料理。
釜玉(かまたま)
湯を切った釜揚げのうどん玉、卵、薬味、だしまたは醤油を混ぜて作られるうどん料理。うどん玉が冷めないうちに卵をかき混ぜて半熟にし、少量ずつ薬味と出汁を自分の好みに合わせ、好みに応じて揚げ玉も入れる。綾川町の山越うどんが発祥といわれている。サッカー四国社会人リーグのカマタマーレ讃岐の名称の由来にもなっている。
本節では、ある程度認知されている讃岐うどんの食べ方や業態[41]について説明する。その他一般のうどん店についてはうどんの当該項目を参照。
[編集] 一般店
完成した料理を店員が上げ下げしてくれる、全国で一般的な飲食店の形態のうどん専門店。香川県内においても最も数が多い[42]。メニューには各種の具入りうどんや副食品の類が並んでおり、量や薬味の加減を店員に頼める点も香川県内外で共通している。
香川県内の一般店で特徴的なのは、おにぎり、おでんなどの作り置きのできる副食品は、一般店であっても大抵セルフサービスであるという点である。客は店に入ってすぐにそれらを取ってきて、食べながらうどんが出てくるのを待つ[43]。なお、一般店のメニューは県外の一般的なうどん店と大きく異なることはない。一般的なうどんメニューについてはうどんの当該項目を参照。
[編集] セルフサービス店
料理の受け取り、食後の食器の返却を客自ら行う、セルフサービスの業態をとるうどん専門店。セルフうどん店では、うどんとだしと具(トッピング)を別々に選ぶ店が多い。
具はさまざまな種類の天ぷらを用意している店が多い。具を必ずしもうどんに乗せて食べる人ばかりではなく、自由な食べ方で楽しまれている。
香川県内のセルフうどん店は、そのほかにも客の側で様々なことを行うようになっている店が少なくない。
蒸篭に並んだうどん玉を客が好みの量を玉単位で丼に取り分ける。氷水で冷やしたものや、釜揚げを頼める店もある。
湯と「てぼ」(鉄砲ざる)または「ぬくめいかき」(竹製の道具)が用意されていて、自分で好みの温度まで温める。冷たいうどんそのままも可能。
置かれている具や薬味を自分で取って入れる。
タンクの蛇口を捻ってだし(つゆ)を注ぐ。だしは温冷の双方が選べる。冷たいうどんに熱いだしをかけたり、その逆なども行われている。また、かけだしのほかにぶっかけだし、つけだしが用意されていたり、醤油、調味醤油などを少しかけるだけで賞味されることもある。
上記は一例であるが店と客の役割分担が店によって違うこともままあり、香川県民でさえはじめて入るセルフ店ではまごつくことがあるため、メニューではなく手順が掲示されている場合も多い[44]。
長らくこのようなセルフうどん店は香川県独特の業態だったが、2002年頃よりはなまるうどんのようなセルフ式うどんのチェーン店が東京都など県外へ出店し、短期間に急増した[45]。香川県で標準的なセルフうどん店よりも客自ら行なう手順は少なくなっており、セルフうどん店がはじめての客にも入りやすい工夫がされている。
[編集] 製麺所
製麺所に什器を設え食事ができるようにしたうどん店であり、基本的にセルフサービスである。食べ方などは基本的にセルフうどん店と同様であるが、選べるものは極端に少なく、メニューなども用意されていない場合が多い。
看板や暖簾、什器などに気を使わず、とても客商売をしているようには思えない佇まいの店が少なくなく[46]、このような店が紹介された当初、他県民には大変ユニークに映り、また香川県民でも知らない人は本当に知らなかったため、県内外で注目された。
[編集] 小売
外食としてだけではなく家庭でもうどんはよく消費される。外食店が今のように増加する前は、うどんは買ってくるか手作りするのが主流であった[27]。
玉売り
調理済みのうどん玉の形で販売されるもの。家庭では湯通しして(湯掻いて)利用される。製麺所などで蒸篭から取り分け販売されるほかに、袋詰めにしてスーパーマーケットなどでも販売される。
冷凍うどん
工場生産の冷凍食品。茹でた直後に冷凍するため水の分散状態が保たれ、コシが強いのが特徴[47]。指定の時間茹でて水洗いしてから利用するものが多い。保存が利きまた近年改良が進んで味の評価が高まってきたため、全国的に家庭での利用の主流になりつつある。加ト吉など香川県内のメーカーのほか、各地の大手食品メーカーも手がけている。
生、半生
茹でる前の、生地を伸ばして切った状態で販売されるもの。水分量を調節するなどして乾麺に近い状態にし、常温である程度の保存が可能なものもあり、半生と呼ばれる。指定の時間茹でて水洗いしてから利用する。土産物としてよく販売されている。
乾麺
茹でる前の生地を伸ばした状態で、天日干しに近い環境で乾燥させて販売されるもの[29]。保存に優れ、全国のスーパーマーケットで販売されている。
讃岐うどんはよく「コシが強い」と表現される。また大阪のモチモチしたうどんに比して讃岐うどんはシコシコしている、とも言われる。しかしコシという言葉はそれを使う人によって、硬さや弾力、または粘度であったりと、言葉の定義が必ずしも共有されていない。讃岐うどんの味の評価は、この麺のコシによってなされる部分が大きい。讃岐うどんにおいては、店やメニューの紹介ではだしや具の味、佇まいなどが取りあげられても、麺の評価がそれ以外の要素の評価よりも上位に位置する場合もある。一方、かつては製麺所から麺を仕入れる店が多かったため、むしろだしが店ごとの個性として重視されていた[48]。
うどんのコシについての学術的研究[49]では、コシは「咀嚼中の総合的な食感」というテクスチャーをもって表現されている。調査によれば、弾性率と粘性率がそれぞれ1×105Pa、1.5×108Pa·s以下と軟らかく、かつ破断強度が大きいうどんが、コシがあって美味しいと評価されている[50]。すなわち、噛み切るのに力が必要だが軟らかいのがコシのあるうどんであり、単純に硬いだけではコシがあるとはみなされない。
コシのもうひとつの特徴は、それが「時間とともに急速に失われていく」ということである。これはうどんの破断強度が2時間で約2/3まで低下することからもわかる[51]。讃岐うどんのコシ(ないし美味しさ)は、茹でて水で締めたその瞬間に最大となって分単位で失われる。これは時間がたつとともに水分分布が均一化して全体が糊化(アルファ化)し、噛み始めが硬くなる一方で噛み切るのに必要な力は減少し、コシが無くなっていくためである[51]。このため、店で食べる讃岐うどんの当たり外れは店に入るタイミングが全て、とも評される[52]。讃岐うどんには時間とともに出現するような類の美味さは一般に存在せず、「つゆとなじませるためにしばらく置いておく」といったことが普通に行われる大阪や京都のうどんとの大きな違いとなっている。
[編集] 手打ち式製法
上記のようなコシが生まれる原因として、讃岐うどん特有の手打ち式製法があげられる。これには一般的な機械式の製麺と比べて
十分な混捏
圧延が多方向
生地の熟成
といった特徴がある[17]。この中で1と2は生地の中のグルテンの分布を均一にする効果があり、3には生地からの脱気や遊離脂質の減少と結合脂質の増加をうながす効果がある。3には1によって生地に生じた応力を緩和し、軟らかく伸びるようにする効用もある。
また、食塩水の添加も重要な要素となっている。加える水の量を増やすことによってグルテンの均一性を増す事ができるが、多すぎると生地の粘弾性が増して硬くなる[53]。また食塩を加えることで生地の伸びがよくなるが、多すぎると逆に低下する。このため食塩水の量と濃度を調節することが重要であり、古くから「土三寒六常五杯」(土用など夏期は1杯の塩に対して水を3杯加え、寒中の冬期は水を6杯にする[54][55])という言葉が目安にされてきた。 これらの要素が組み合わさって讃岐うどんのコシは得られている。
なお、生地はかつてうどんゴザをかぶせた上から裸足で踏んでいたが、衛生面から20世紀後半にこの方法が問題となった。このため効率化を兼ねて、製塩業に用いていた藁の加工機をベースに混捏用の機械が1965年に開発された。1968年に香川県が製麺業の免許の交付・更新の際にこの機械の採用を義務付けたため普及が進み、1970年には北海道など全国各地やソウル、アラスカなど海外にも出荷されている[56]。
[編集] 小麦粉
香川県産のうどんの原料となる小麦粉は、かつて稲の裏作として盛んに栽培されていた県内産の小麦(地粉)が使われていた。最盛期の栽培面積は10,000ヘクタール以上にも及んだが、高度経済成長期に急減して1973年には326ヘクタールとなった。その後は栽培の振興施策などもあって1987年に4,130ヘクタールまで回復したが、1997年には475ヘクタールまで再び減少している[57]。
1970年代には粘りの強いカナダ産とさらさらしたアメリカ産の小麦をブレンドして主に使っていたが、現在は多くがオーストラリア産であり、日本のうどん用に最適化して開発された『Australian Standard White』(略称:ASW)という麺用中力粉が用いられることが多い。県産のうどん用小麦としてはもともと農林26号など[58]が使われ、20世紀末にはASWに対抗するため県が『さぬきの夢2000』を開発したが、生産量の少なさ、製麺の難しさ、2004年に起こったJA香川県による不当表示問題[59][60]などによるブランドイメージの低迷、などにより普及はあまり進まなかった。
一方でオーストラリア産の小麦とさぬきの夢2000をブレンドした讃岐うどん用の小麦粉なども開発され、これを使用した半生うどん「幽玄 premium」がモンドセレクションの金賞を受賞している[61][62]。
また「さぬきの夢2000こだわり店」の認証も行われており、さぬきの夢2000を100%使用した店名も明示されている[63]。これは、「めん」「だし」「サービス」の3つを厳しく審査するものである。
詳細はさぬきの夢2000を参照
[編集] だし
麺の食感という讃岐うどん共通の価値観を除けば、味付けなどは非常にバリエーションに富んでいるが、讃岐うどんを特徴付けるものとしてはほかに、イリコ(煮干し)のだしが挙げられる。イリコの出汁は一般的な日本料理では煮物や味噌汁などに用いられるが、うどんのつゆには通常用いられない。これはイリコが青魚独特の臭みを持つため、二番出汁相当の使われ方をするものだからである。うどんつゆのような「表の味」には鰹節・昆布によって調製される一番出汁が用いられることが多い。
近隣の伊吹島がイリコの名産地である事などからイリコを使った濃厚なだしが昔からよく使われ、讃岐うどんの主張の強い麺と豊富な食べ方のバリエーションを下支えしてきた。繊細な一番出汁では、讃岐うどんの「強さ」に負けかねない事もあり、讃岐うどんでは地元のイリコと北海道産の昆布を組み合わせてだしを作ってきた。煮干しの臭みを取るためには、焼いた鉄の棒をだしに入れる方法などが採られ、最後に加える醤油にも生臭さを消す効用がある[48]。なお、つけ汁には濃口醤油、かけ汁には薄口醤油を使い、それぞれの分量を変えるなどの工夫がされている[64]。
種物や麺つゆをたっぷりつけることさえ無粋とされうる蕎麦とは対照的に、様々な天ぷらが好んで乗せられ、時にはコロッケまで崩し入れられるような讃岐うどん文化には、イリコだしが欠かせない。また、香川ではうま味調味料が忌憚なく使われる傾向にあり、他の地域では極めて珍しいことだが、店の食卓調味料として味の素が置かれていることも多い。出来立てのうどんに味の素をパッと振って醤油をチャッとかけてすすり込むのはポピュラーな食べ方である。まただし醤油などもよく使われている。どこまでも強い麺がだしや味付けを繊弱なものにしなかった。これも讃岐うどん文化の一つである。
[編集] 薬味
薬味にショウガやネギが多用されるのも讃岐うどんの特徴であるが、これもイリコだしと相性がよい。なお、一番出汁に香りの強い香辛料を加えると風味が損なわれるが、イリコだしとショウガの組み合わせはかえって臭みが消えて爽やかな風味がうどんを引き立てる。
このほかにも唐辛子やからし、ゴマ、花がつおが従来から用いられてきた[48]。近年では食品の地域性も薄れて入手性もよくなり、さらに多様な薬味が供されている。他県のうどんやそばと同様、七味唐辛子、山葵なども定番であり、イリコや様々なふしを混合した新たな味も次々生まれている。また讃岐うどんが県外に進出するとともに、かけだしにショウガも広まっている。
[編集] 讃岐うどんに関する統計
「香川県民は一人あたり年間○○玉のうどんを食し、日本一うどんを食べる」という表現はしばし使われるが、その数字は100玉程度から300玉を超えるようなものまで様々であり、根拠が必ずしもはっきりしない。これは「うどんの玉の数」という明確な統計がないためである。たとえば、総務省の家計調査[65]では、「うどん・そば」と一括りにされている。また、統計における数字を目分量であり店によって量が倍ほども違う「うどん玉」の数に換算することの問題もある。一方でこれは「うどん玉」という単位自体の問題であり、人口当たりのうどん生産量や消費量が日本国内で圧倒的に高い事は統計的に明らかになっている(#概要など)。
香川県のうどん屋の数については、毎年発行される讃岐うどん店を網羅したガイド本[66]では800軒前後が掲載されている。うどん屋またはうどんを生産していると思しき箇所として、県では1100軒程度(2005年度)を把握しているようである[67]。店舗は特に高松地域と中讃に集中しており、その中でも紹介頻度が高いのは高松市以西の綾川や土器川などの河川沿いの店が多く、良質な地下水を大量かつ安価に使用できる環境の影響が指摘されている[68]。同様に、東讃や島嶼でうどん店が少ないのは平野部が海岸砂州や後背湿地から形成されて地下水に恵まれないためともされる。
[編集] その他
さぬき市は2002年に合併によって誕生した比較的新しい市であるが、この地域はかつて大川郡[69]と呼ばれており、「さぬき」のつく特定地名はなかった。このひらがな地名が採用されたのには、旧国名よりも、ブームのさ中の「さぬき」というブランドに肖る意図が大きかったと考えられる。市名候補「さぬき」は住民アンケートでは「大川」「東讃」に次いで3位であった[70]。
うどん店は零細であるため排水規制がかからず、高濃度のデンプン質を多く含むうどんのゆで汁が浄化装置も通さず露店の水路に放水されていることが多く、香川県一般の飲食店などの中でも最悪の環境汚染[71]であり、環境汚染が懸念されている。讃岐うどんブームに伴い排出量が大幅に増加し苦情が寄せられる程に[72]なり、県では県下のうどん店に、うどん店排水処理対策マニュアル[73]などの配布を行ったが大きな改善が見られず、規制と共に罰則を想定した条例施行を目指している[72]。
丸亀高等技術学校では2003年より毎年、うどん職人を養成するさぬきうどん科(3ヶ月、職業訓練)を開講し、卒業生の県内外での新規開店や就職に実績を挙げている[74]。また、瀬戸内短期大学では、さぬきうどんインストラクター養成という特色のある教育が行なわれている。
テレビ朝日の2008年放送の番組[75]においては、
讃岐産のコムギのDNAは中央アジアのものと一致している
中央アジアのラグマンは中力粉を塩水でこね、気温により濃度を加減する事が讃岐うどんと共通している
切らずに伸ばして麺にして(讃岐うどんは包丁などで切る)茹で上がった後で水で締め、食感も讃岐うどんに近い事から、空海らの遣唐使が訪れていた長安を経てラグマンが持ち込まれ、讃岐うどんのルーツの一つとなった可能性が指摘された。
[編集] 脚注
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^ 和漢三才図会(正保3年(1713年)) 小麦の項目に「讃州丸亀の産を上等とす」とある。
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^ 長谷川(2007 :21)
^ もっと遡れば寒川郡。そもそも大川郡という名前は大内郡(現在の東かがわ市に相当)と寒川郡の合成地名である。
^ さぬき市への助走 第5部(7)(四国新聞社)
^ 排水の水質(化学的酸素要求量)は、うどん店(製麵所を含)が1000mg/Lと最逆援助交際悪である(「讃岐うどんの茹ゆで汁も汚濁防止の対象 ‐ 小規模事業にも排水規制で川も海もきれいに」、財団法人河川情報センター『Portal』2007年3月号)
^ a b 2007年5月1日付 産経新聞「讃岐うどんに環境問題の逆風 ゆで汁の排水が問題化」
^ うどん店排水処理対策マニュアル(香川県庁)
^ 丸亀高等技術学校の「うどん科」入校式 (四国新聞社) 2007年7月21日取得
^ 2008年2月2日放送 うどん王子ナンチャンの讃岐うどんのルーツ 中国まで行っちゃいましたスペシャル!
[編集] 参考文献
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麺通団『恐るべきさぬきうどん — 麺地創造の旅』新潮社、2003年a、ISBN 978-4101059211。
—— 『恐るべきさぬきうどん — 麺地巡礼の旅』新潮社、2003年b、ISBN 978-4101059228。






